自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

第9回TAMA NEW WAVEコンペティションの感想(後編)

Category: 上映会・作品感想  
審査員として朝イチで会場に集合して渡された資料の中に「審査の仕方」というプリントがあった。
よく読むとこれが実に面白い。
簡単に紹介すると
●作品選考基準〔重要度40%〕
プロデュースパフォーマンス
1・作品のパワー・吸引力(荒削りでも何か心に響くものを感じさせる力)
2・オリジナリティ(どこかで見たようなものはNG)
3・将来性(次回作も見たいと思わせる魅力、発展途上でも期待させる何か)
4・審査員個人の主観・直感・好み(作者の運次第。運も実力のうち)

●ディレクションパフォーマンス〔重要度20%〕
1・キャスティングと演技(配役のはまり具合・動きやセリフ等の演技力)
2・カット割り(構図・つながりの良さ、テンポ、個性、斬新さ、心地よさ、全体のバランス)
3・ロケ地(絵になるロケ場所の選択、ストーリーやキャラクターとの調和)
4・総合力(作品トーンや主張の一貫性、各パートのハーモニー、完成度)
●ストーリーパフォーマンス
1・テーマ、設定、主張(面白さ、新鮮さ、斬新さ、深さ、センスの良さ)
2・構成力(起承転結、省略と誇張、意外性、パワー、1の表現力)
3・魅力ある登場人物(感情移入が出来るステキなキャラクターの設定)
4・気の利いたセリフやリアクション(印象深いセリフや記憶に残るシーン)


などなど以下略。
最後に、「(前略)あくまでコンテストは相対評価であり絶対評価ではないので、各審査員が序列をつけるのに迷ったら、もしくわ自分の好みに偏る恐れを感じたら、この観点で再考し優劣をつけるのが目的です。チェックポイントを読み返したりしてまで採点に悩まなくて大丈夫です。」と言う断り書きがあるように、一般審査員として普通の人が映画を審査することで戸惑ったり晩生になったりするのを防ぐためのガイド的なものと説明してある。
だからこのとおりに審査する必要は無いが、映画を審査したことの無い人にとってこれは実に親切な分かりやすい手引きになっている。日本人の場合行き届いた平等主義のためにどうしても他人を審査することに強い抵抗感があるが、そうして評価する癖がまるで無いためにいざ「作品審査」するとなると何をどう見れば良いのか分からないというのが実際の話で、TAMA映画祭と言うように一般市民のための映画祭という冠がある以上そういう不慣れな人にも門戸を開くならば、こういう手引きは凄くありがたいと思えるんじゃないだろうか?またこれによって「映画の評価は何によってされるのか?」なんていう面にも少し目が開くような気がする。
となればこれは一般審査員の募集の時にこれを公表した方が集めやすくないか?これなら自分でも出来るかもっていう気になって。

あと個人的には「へ~、みんなこういう面に気を使って映画作ってるんだ~。」と感激した。

では、昨日の続きの作品感想(※注意:ネタバレあり)
 
■chain 加治屋彰人

chain

この作品がグランプリです。
審査員に誘って巻き込んだ若い役者さんたちにも聞いてみたらこの作品に票を入れていたらしい。
俺の中ではダメだった。
ノミネート作品中唯一フィルム(16mm)で作られた作品。わざと発色を抑えて撮ってるらしく色合いとか風味だとちょっと8mmっぽくも見えなくも無いw。
構成は5人の登場人物が始めはそれぞれ独立したシチュエーションで紹介しながらそのおしまいの部分が次の人物のシークエンスに繋がっていくと言う構成で、それが作品のタイトルのchainに掛かっている。
と、言う理屈が分かると見てる側としては「それがルール」と理解されてしまうわけだけど、そうなってくると「あれあれ?」という展開になってきて戸惑う。
三人目の学校の先生:加恵のシーンと工場勤務する圭吾は絵的に繋がっていないのでルールが壊れている。
女子高生の理衣と麗奈と加恵はドラマ的にも人物相関的にも繋がっていくが圭吾は最後まで他の三人に関わってこない。
ルールが適応できないことが鑑賞中やけに気になる。
ラストに会社を首になりやけになった圭吾が包丁持って前の三人が通う学校に飛び込んで殺しまくるというクライマックスに至ることでやっとメインの四人が繋がる・・・・・・繋がったとは言えんじゃん。
つまりタイトルとストーリーの初めに提示されたルールに縛られて見てしまったことが最後に「落胆」のような感想を持ってしまった理由。
で、改めてこの作品を思い起こす際に今度はそのルールをはずしてみると今度は逆に「誰もが思うようにならない日常の中でもがいているが、何とかその中で生きていこうとしている」人たちがそれまでまったく縁もゆかりも無い人間のまったく勝手な暴走行為によって破壊されてしまう理不尽な出来事への作者の怒りだと分かる。
・・・・・けど、そうなると最近そういった事件が実際に起こっていて、新聞やテレビやワイドショーで見たり聞いたりした時に持つ普通の人の反応とまるで同じで。悪く言えば実際の事件を題材にした凝った(ただしめちゃくちゃ高度な技術と演出が付いちゃうけどw)再現映画でしかなくなってしまう。
何にも良いこと無いけど一生懸命生きてます。そんな人達を無関係な人が自分の勝手で殺しました。だけの話を作った理由が理解できなかった。

トークで監督自身が話していたけど彼自身の幼児体験で包丁を持った男に襲われた経験もあり、また同じころ「池田小学校の無差別殺人事件」があった(作者も同じ大阪出身)ということがその理由(と言うか情念)だったが、彼が実際に現場で嗅いだ本物の恐怖の匂いを、新聞やテレビだけで分かったつもりになったり、心配して上げてる格好だけの輩に「そんなすらすらコメントなんか出来るほど軽い話じゃねぇんだぞ!」という怒りというか反発のようなもんだと理解した。
この作品のクライマックスの惨殺シーンは見終わった後に「言葉も出なくなる出来事」というメッセージが十二分に出ていたと思う。同じシチュエーションでも例えばホラー映画の惨殺シーンなんかとは比べ物にならないくらいの演出がされていて息を呑む。そういう面で確かに作者の訴えたいことはダイレクトに伝わってきて「表現者としての卓越さ」を知ることが出来るけど。

「同時にそんなことは出来たら知りたくもない」というのも客としてはまた作者と同じくらい叫びたいのも事実だ。
作った側から見れば理不尽かもしれないが、人間の感情にはあらかじめセーフティシステムが組み込まれていて、人間は当事者で無いことに対して深い感情移入を妨げるように最初から出来てるんではないかと思っている。そうでないと毎日のテレビ新聞でおきてる事件や事故のたびに「言葉を失うほどの恐怖。」を感じていては自分の日常が送れないからだ。このシステムが最も発達しているのが医者という職業だと思う。患者が死ぬたびにドン凹みしてたら次の患者の処置がおろそかになったりミスったりする。だからあの人たちは遺族からしたらありえないくらいドライになるように出来てる。
普通の人があまりに陰惨な話には目をつぶり耳を塞ぐことは健全な反応なのだ。
で、この感情の延長線上にあるのは「でもやっぱり作り話(創作モノ)でしょう?」と言うことであって、それが見ていて痛んだ自分の良心を慰める言い訳になり「嫌いだから(と言うより見たい内容のものではなかったという意味)」で俺の中で済ませた。

そういうわけで俺的にはダメな作品(というより、キライな作品)だったから、集計間のトークショウで審査員の二人が唯一と言っていいほどベタ褒めだったことに俺がびっくり。こないだろうと思っていた方向からボールが飛んできて当たってしまった気分。
俺の理由は至って個人的で感情的なことだから評価とズレがあったとしても当然なんだけど、「自分がそうなら他人もそう」と言うありがちな思い込みのせいで油断していたから逆に「え?どこが?」と感想書く前にその理由が知りたくなった。そこで作品のサイトを見たりして情報を鑑賞直後より仕入れてしまっているのでこの項だけ純粋なレビューとはなっていない。

■太陽が嫌い 松村真吾
太陽が嫌い

30歳を目前にしても定職につかない正夫と二人きりで生活をする母・広恵。うまく社会の一員になれない正夫の苛立ちは、暴力というかたちで広恵に向けられている。広恵はその暴力に耐える事が「愛情」なのだと、ひたすら信じている。出口のないトンネルのような日々を送るしかない2人。
と言うストーリーだけど、ひりひりするような生々しい演出で特に引きこもりだったこともないし、そういう近い知り合いも居ないが、「ああきっとこんな感じなんだろう。」と思わせられる。
俺は自主映画ということに関してはピンからキリまで好き嫌い無く何でも見るが、「引きこもり」と言うキーワードは今の流行もあって割とモチーフで使われることが多く、なんかの拍子に見てしまうことがある。たいていは記号として名札代わりに使われる程度かテレビの焼き直しでしかなくなる。流行りモノが便利なのは知識が一般人に十分いきわたってるので表現に気を使わなくても使える記号化が終わっているからなんだけど、逆に言えばその一度「記号化」されたものを再破壊と再構築するわけだからゼロからの構築よりはもっと大変なんだろうなとは思う。でも反対に殆どのテーマが使い古された今に新しいものを作ろうとしたら案外ステレオ化されたものを壊すというのも有効な手かも知れん。
とはいえ、なんだかんだいってこの作品、引きこもる男には殆ど何の同情も救いの手も差し出しちゃぁいない。ストーリー紹介にあったとおり、母親だから「耐えること」こそ愛情だと妄信してしまっている母親への愛情がメイン。なので物語の解決も母親は自分だけで解決しなければいけなかった。暴力を振るい引きこもる息子はこの物語で何かが変わったとは思えない。この物語では単に「母親もキレたら怖い。」であり「母親が居なくなったら困るのは自分だ。」であり「もはや自分が勝てる相手が居なくなったという孤立感。」だけである。ラストで抱きしめあう親子の映像は審査員からも(やや苦しみながらもw)「わずかな光明が見える。」ということを評していたが俺にはむしろ「本当に行き詰った終着点。」に見えてしまった。
作者の描きたかったことは何らかの好転した解決だったハズなのに、そうとは捉えられなかったことが票を入れなかった理由。

この作品のなんといっても一番の驚きは出演者の大半が素人さんだということ。で、どれもこれもハマってることハマってること。特に主人公の母親・広恵役はストーリーの難しさ要求される演技の難しさを見事にビジュアルに反映させていたのだけど監督トークでは「近所の弁当屋のおばさん(!)」と発表され全員が「え~~~~~~!」。
キャラが立ってる一般人が下手な役者より全然面白いというのは少し経験したこともあるのでそれ自体は理解できるが、この作品のように重くて(で、長い)丁寧さが要求される作品でやり遂げたことがまず驚き。
むしろ映像技術よりもそうやって多くの人を最後まで引っ張って作り上げた技量の方が凄いと思う。
でも本当にハマってる人見つけられたらこまごました演技指導は逆に必要なくて「じゃ,次これやって。」だけで最高の演技(本人はいつものことをしているだけ)になったりするから良いかもw。
ただ正直、俺個人としては前上映されたchainのあとにまた暗いのが来るとおなか一杯感が・・・・・。
甘いものは別腹というが、同じものはやはりたくさん入らないね。全然撮り方もテーマも違うんだけど「他のものが食べたいなぁ。」という気になってしまった。作者の責任ではないが。

登場人物の一人に市議会だかに立候補して街頭演説する旧友があるが、街頭演説シーンが何とかそれらしくしようとしてるが実は足りなくて大分苦労して撮影しているらしい雰囲気が伝わるところが愛嬌。
エキストラのガヤなども含めてこういう直接物語に関わらない部分のセリフは割と気を使わないことが多いけど、演説内容はもっと膨らまさないと「まず当選しないなぁ。」と言う感じがする。というより、何を喋るかは上手く利用した方が(出番の少ない)キャラクター付けには良いと思うんだけど。まぁ、この作品に感しては瑣末なことだな。

■総評
今回、コンペ自体の全体を見て一番強く思ったのは実は作品ではなく「ノミネート作品を選ぶ難しさ」だった。
今回の作品を仮に一本一本違った会場で別の日にそれぞれ独立して見たら大分印象が違っていただろうと思う。
なぜか連続する作品に少しづつネタがかぶってたりすると、どうしても後に見た作品の方で『あ、また出た。』と思ってしまう。
『茜さす部屋』と『へばね』はどちらも子供を産む産まないの選択がストーリーの芯だったし、『ハロー・グッバイ』と『chain』では学生のいじめがモチーフで使われていて、面白いことにどちらにも母親が子供に向かって『話があるからここに座りなさい』と、リビングテーブルに座らせるシチュエーションがあったり。『chain』と『太陽が嫌い』はどちらも仕事の出来ないダメ男が出てきて事件の鍵になってたり。目立たなかったけど『ハロー・グッバイ』と『太陽が嫌い』の登場人物の一人がどちらも引きこもりというアイテムを持った人間が居たり。
表彰式だかトークショウだかで審査員(だったと思う)が『最近は社会性のある作品が増えてる』という意のことを言っていたが、今回のノミネート作品の印象ではむしろそのバリエーションの無さの方が目立ったように思えた。
応募数は90本ほど有ったということだけどノミネートでの割合がそのまま応募作品全体の傾向と同じ比率とは考えにくい。特にTAMAでの過去の受賞・ノミネート作品に顕著なジャンルの偏りが見られない以上『このジャンルが通りやすい』なんていう対策で作られた作品がそんなにあるとは思えない。
しかし、結果的に今回は色々とネタ的にかぶることが目立ったのも事実だ。となるとそれはノミネートの過程で生まれた偏りだったと思う。
もし、その偏りがコンペの特徴づけのためにされたというのであれば『それは方法論』として有りだけど、デメリットとしてはネタ被りが生じやすく、後の作品ほど若干不利になるんではないかという気がした。
だからといってメリハリ中心に選考することが正解な訳ではないので・・・・となるとどうすりゃ良いの?

また、ノミネートされたものとされなかったものとの間に明確な一線があったとは思えないわけで、実際に後の懇親会で運営委員の方から聞いた話によると総上映時間という枠による物理的な問題のために残す・落とすの激論は本戦の比ではないということらしい。
そりゃそうだろう。本戦は審査員の多数決という錦の御旗があるから押すにしろ引くにしろ決心がつけやすくまた言い訳もしやすいが、予選はそれこそいろんな思惑や力関係の絡み、あるいは技術論・感情論・はては将来性(「今はダメだけど」といった不確定要素まで考案に入れるともう!)といった合わない軸での対立なんかはどうしたってあるだろうし。
そう思うと、本戦での審査で俺が入れた一票が受賞に結びつかなかったことなんかとは比べ物にならない苦汁を飲んだ人が作者以外に居たことに軽い恐怖を感じる。
ノミネートされた作品の上映順番も決めるのは大変だろうなぁ。
朝イチはまだ温まってないから明るいのにした方が良いとか、後の方は審査員も疲れるから不利じゃないか?とか答えの出ない疑心暗鬼に振り回されたら何を決めるのも怖いだろうな。

それにしてもアートソフトの審査って『陸上競技』に似ていると思うぞ。そこには100m走もあり、幅跳びもあり、5000m走もあり、砲丸投げもマラソンもリレーもあって、それぞれの一等賞の中から一等賞を決めるという無茶な行為じゃん。800mの世界新記録と槍投げの世界記録とどっちが素晴らしいと思う?
そういう意味では今回のノミネートは割りと近い競技ばかりになって投票はしやすかったといえるけど、聞くところによると審査員総評でのコメントによると1位以外はほぼ横一線だったということだから、近しい競技である分決定的要素も見出しにくくて票が散ったかもしれん。・・・・もっとも幅が広がったり傾向が違っていてもそれはそれで一つを選ぶのは困難なので同じ結果か。

話は変わるが、個人的にノミネート作品が『暗い』作品ばかりになったことが印象として残った。
そのこと事態は良くも悪くも無いけど、応募された作品全部がそうだったとは思いにくいのでちょっと傾向が変わると見る側には相対的にかなりそれが目立つ。
と、書いてみたけどその一方でだからといってどれかの作品を見るときダレたかというと決してそうではなかった。同じモチーフを扱いながらそれぞれ違うものを描いていたので、それぞれの作者がモチーフを単に描きたい何かを表すための道具として扱っていたことが結局されぞれの違いとなったことだろう。同じモチーフを見ながら実はその先の向こうに作家は違うものを見ているということが顕著だったなぁ。
でもやっぱり言葉で簡単に書くと「全体的に暗いなぁ。」となっちゃうけどね。

「作品全体のレベルが上がった」というコメントが聞かれたがこの言葉そのものは何年も前からいつも出てくる言葉なんで、もう驚きもしないけど、俺は自分の作品より上手くて面白い作品ばかりのコンペなんてのは1年に1回行くか行かないかぐらいなのでそういう実感は無い。けど、エンドロールを見ると今回の作品の多くがプロデューサーが居て製作システムが組まれていて組織だって作られてることが伺われるものが多かった。「作品のレベルが上がった」というのは何を指しての言葉かは分からないが、「普通の劇場にかけてもまったく遜色ない仕上がり」ということを指すのであれば、想像だけどそういう商業映画の製作システムと同じ仕組みで作られたことがその要因であり、またそういうシステム自体が作られやすくまた実際にあちこちいたくさんできていることの反映じゃないかな?とも思った。
ノーベル賞は個人での受賞が難しく研究チームのバックがないと取れなくなったのと同じように、映像も個人の能力だけではもうデカイ賞は取れないんじゃないか?とも思った。他のコンペと比較したわけではないので仮説どまりだけど。
ま、俺には関係ない世界だ。

■その他の感想点描
自主映画の知り合いは監督役者等たくさん居るが、やはりこういう場面で新しく出会う人の殆どは作品の方を先に見てしまうのでどうしても会ったときの第一感情は「あ、本物や!本物や!」
今回は5本全部見たのでどこを見ても『あ、本物や!本物や!』
田舎ものが都会で芸能人に偶然出会うかのような新鮮な驚きの連続に疲れる。

集計待ちの間のトークショウで審査員&コメンテーターとして冨樫森監督、風間志織監督の二人が「みなさん(自己満足ではなく)きっちりとちゃんと作ってる。」と褒めてらっしゃった。
一人が「お金をいただいて見てもらう以上,ちゃんと作るのは当たり前。」という意味の答えを返した。
有象無象30本近く作った俺の過去作品の中でただの一本も「ちゃんと作ったことの無い」俺には、発想からしてまったく違うことをしている人達だと思った。
だから友達にはなれないんだよ!
向こうからすれば俺なんか同じ映画人には思えないだろうからフラれる前にフッてやる。
だから懇親会や飲み会では俺はいつもおとなしい。

江古田やBABACHOPで声をかけて審査員になってもらった若い人はこの日一日かなり楽しんだようだ。
それまであまり自主映画を見たことが無かったために「こんなのがあるのか!」と言う驚きが作用して大分興奮状態にあった。
あまりかまってあげられなかったが、若いせいもあって積極的に他の出演者や作家や関係者と懇親会で話し込んでいたことは誘った方としては一安心。あと望むとすればその快感や歓喜を自分のところで止めてしまわないで俺が巻き込んだように他の人を巻き込んでいって欲しいもんだ。同じ自主映画であっても違うところに惹かれていたとしても。TAMAでなくても。でも12月6日のBABACHOPには来て♪

石出裕輔と水戸英樹はやっぱり似ていると思った。
というか同じじゃん。

昼わずかの休憩時間に昼食をとろうとビルの地下にある中華料理を食べに行ったらカウンターの上に「本当の中国人が料理しているのでおいしいです!」と描いてあるでかい帯張り紙があった。
本場過ぎて言葉が通じない。
水をもらうだけで苦労した。

もっとも優秀な審査員に贈られる
ベスト審査員賞を逃した。
来年こそ!
ベスト審査員賞
スポンサーサイト
テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

Comments

推敲する気にならん。 
薄い小説一冊分書いてしまったような・・・・・。

俺はアホじゃないかと思います。
No title 
おつかれさまでした。
来年も「ケッ!」て言いに行きましょうかv-313
しかし、打ち上げの場での総帥は、水を得た魚の如くマシンガントークしてたような気がしますが・・・v-397
いいよ~。 
これまでに無く真剣に作品に向き合わされた感じがして、思っていた以上に審査員って面白かった。
来年こそベスト審査員賞を取るぜ!
>マシンガントークしてたような気がしますが
それは君にだけでしょう?俺って内弁慶だしさ。

« »

10 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
プロフィール

どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
商業映画ハ嫌イデェス!

FC2カウンター
FC2カウンター
ブログ内検索
ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。