自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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第28回 B.DASH 感想

Category: 上映会・作品感想  
喘息の発作のまたきつい奴が来た。
愛用の気管拡張剤(メプチンエア)が年末年始だと病院が休みで処方箋がもらえないので年明けの予約を繰り上げて昨日病院へ。
おかげで年末に取っておいた予算が消えた・・・・・。

ああ、伊勢田博覧会行きたかったなぁ・・・・。
あちこちの忘年会行きたかったなぁ・・・・。
福島拓也監督の新作のエキストラ行きたかったなぁ・・・・・。(エキストラでは定評がある俺。)

どこにもいけないので久しぶりの長文に挑戦する。


■DATA
●日時 12/20(土) 18:00~
●入場料800円 (1ドリンク付)
●場所 BABACHOPシアター

●上映作品
 ◎新津東二監督「土曜日は部長に恋をする」(8min)
 ◎新津東二監督「喋る人」(7min)
 ◎樋永真一郎監督「ゴミの話」(45min)
 ◎中村幸一監督「katami」(16min.)
 ◎菅野重保監督「港の刑事・自家製ライフル」(10min.)
 ◎高橋コウジ監督「zzz」(20分)
 ◎井上たかし監督「LIVE SHOW」




新作を含んだプログラムのせいもあってB-DASHはこの日は満席。

すべてのソフトメディアの中でもっとも遅れていた「動画記録メディア」が今世紀に完成したせいで、いつでもどこでも作品が見られる環境になったことが元々告知力を持たない自主映画(個人製作映画)において、さらに初回以外では関係者すらも集まりにくいというところまで動員力を鈍らしている。
劇場運営という事業の中で自主映画専門(厳密にはお笑いライブなど他の事もやっているが)に絞ってるだけで経営上は間違いなく手かせ足かせとなるのだが、さらにその中でB-DASHという「持ち込めばなんでも上映する」という試みは、ハナから「観客動員を目的としない」とことから始めないとやってられない企画なのだが、じゃ、その代わりに何を売りにするのかといえば「作家・製作者」のが出会う場として成り立たせようというのは、まさに自前で小屋を持ち自らも制作をしている宮田氏にしか出来ない贅沢な企画といえるし、広い意味でとらえた「自主映画」にとってそういう空間が実在することは本当は幸運だといえるが、先に書いたように「材料の良し悪し関係なくなんでも鍋に突っ込む」やり方は例えとしなくても料理としては決して適切ではないし、事実普通の客としてこの行事を見に行った場合「まさに客には用無し。」状態になることが多々ある。事実これまでの中年出がらし作品の虫干
しプログラムが集まると「同窓会」w。
長期間 回数重ねるとまぁこういった回が中に含まれても仕方ないといえるが、といいつつ、今年半ばぐらいから少しづつ目新しい顔ぶれも混ざってきている。
ちょうど出がらしも種が尽きたころだろうから、この先が楽しみでもあり苦しいところでもあり。


以下、ネタバレありの感想文。
 
●新津東二監督「土曜日は部長に恋をする」(8min)
土曜日は部長に恋をする

開始に間に合わず未見。しかしDVDをもらったので家で見てみた感想。
これは良い。
面白かった。

不条理モノは難しい。モチーフだったりキャラクターだったり内容だったり本来まったく別のものをくっつけることで誰も触れなか

った価値観や新しい感情や抽象概念や感情を表出する可能性はあるが、何でもくっつけたから良いものができるというわけがなく、

多くは「なんじゃこれ?」となってしまう。
たいていは作る前にそのことに気づくのでなかなかお目にかかれないが、そういう意味だと実際に「作品」としてカタチになったということは、十分自信があるんだろうと思うけど、この作品。原則的に上手いです。ネタも見せ方も両方「映像」を上手にいじって遊んでます。
もちろん正式な製作体制はとってないので音声が悪いとか照明の当たり方が弱い(というより一切気を使ってないw)という、表面上のことはさておいて、やはり作家性の高さが垣間見えて面白い。
これまでどうしたって「絵に描いたうそ臭いロリキャラクター」でしか使われてなかった星野佳世を男言葉を喋るキップのいい姉(兄?)ちゃんと演出したり、感情表現をわざわざ別カットに分けるとか従来の表現ツールに縛られない技法が多く使われて(この辺 少し高岡幸太郎の影響を感じるがw)いて油断なら無い作家性が見えて・・・・・・・腹立たしい。
もっと早く作家への道を進めばよかったのに。
ちょっと惜しかったのはラストの絵の「国会議事堂」は逆になんか硬派なテーマがあるように見えて逆に「ロックじゃない。」と思った。もっとアナーキーでいて欲しかったよ。



●新津東二監督「喋る人」(7min)
喋る人

人柄に似ず植物と話す研究者を主人公にしたちょっとメルヘンな話。
似合わないw
一人称を「ボク」と呼ぶけど女の主人公と、画面に映らない相手と一方的な会話でなど、出だしから中盤にかけて異質感の演出は貧弱な撮影体制にあってもそこそこ出ていて「やはりこやつなかなかやるなぁ」と思っていたけど、オチが実は相手は植物で、その声を聞きたくて研究していた人が自ら植物になることを選ぶ。ということだけどその選択の理由付けが弱い。そのため単にどんなオチなのかだけが見る側の期待となってしまい、「なんだ、ありがち。」という感想に。
オチが例えありがちでもそこに至る説得力があればドラマは成立するんだけど、ちょっと自分の情緒に酔いすぎて「したかったからしたんだよね。」としかいえないものになっちゃった。

フィクションを描くときって時々「催眠術のかけ方」と似てるなぁ~と思うときがある。
有りもしない「熱い鉄」だとか「冷たい氷」だとかいって被験者にリアクションをさせる番組なんかを診たことのある人も多いと思うけど、催眠術の根本は言ってみれば「口先だけでいかに相手をその気にさせるか?」という技術に他ならない。技術が高ければ高いほどどんなむちゃくちゃな設定でも話者・術者の表現技術で被験者は疑似体験できてしまう。要は「話し方」の問題なんだと思う。

以前「催眠術のかけ方」みたいな本を読んで得た知識だけど、これってフィクションの描き方と実は随分似ているんだよね。どんな無茶な設定やストーリーでもどんな平凡で陳腐な内容でも描き方(話術・話法)ひとつで感動作品になっちゃう。
もっとも、この作品はそれが目的ではないのでここに書いたのは殆ど自分へのメモ。

今回の上映会とは関係ないけど、もらったDVDに入っていた中では
「彼女は月曜日に会社を休む」・「キルビル15 映画に死す」がものすごく良かった。
ただ、キルビル~は最後のネタが「作り事」だったことが残念。
それと「ロボッツ刑事」・・・・・・風間君・・あんなことできるんだぁ~~~~。俺も頼もう。


●樋永真一郎監督「ゴミの話」(45min)
1.jpeg

二回目の鑑賞。
安心して見られるなぁ。
前回見たときはけっこうツボに入って感動したけど、二回目となると冷静に分析しながら見れた。
前に見たときにも書いたとおりこの作品は元は劇団の主催者だか座長だかが書いたものを監督が映像化したものだということだけど、今回はそのシナリオについて思うところがちょこちょこと。
というのもストーリーは主役である二人の交通誘導警備員が現場で見つけた無断箒のゴミ袋の中身から落とし主への妄想を膨らませていって・・・・という展開になるんだけど、元々その妄想は根拠が薄く二人の人物の「これだったらいいなぁ~」という希望の記録でもあるということ。その妄想がどんどん暴走していきほとんど「ありえねぇ~だろう~!」というところまで言っちゃうというお話し。
この展開は三谷幸喜が得意としそうなジャンル(というかシステム?)だけど、実は他の舞台系の脚本のいくつかを見たときにもそういうのがあって「流行り廃りは舞台の世界でもあるんだぁ。」と感じたことがあった。
こう思うのは2回目で10年ぐらい前に見たのは「つかこうへい」バージョンだった。
ウケるシナリオというのはテンプレート化しているらしい。
というかそういう形をまねるのが日本人が最も世界に誇る能力の一つでもあるのだけど、だからといってオリジナル三谷幸喜ほどにまでなってるかといえば、さにあらず。元の形が見える分、このシナリオが真似し切れなかったところが逆に際立ってくる。
例えば三谷幸喜ならば、同じ妄想でもその妄想は、登場人物その人からしか出てこないネタを盛り込んだだろうと思う。
つまりどんな妄想を思い描くかでその人物を特徴づけ描き出そうとしただろうと思う。
つまり本家の方が手が込んでるということだ。
例えば、人に裏切られ続けている人間はゴミの中のアイテム一つ一つに「人間がうそつきだ」みたいな妄想を広げるだろうし、「いい目にばかりあってる人は「こんなに幸せな人だ」と何があっても結びつけるだろうし。
そういう「妄想」と人物が結びついていないのでこの作品では二人のキャラクターの明確な描き分けが無く、単に話を進めるためのパーツ的な役割しか負っていなくなっている。
とすると最初から最後まで妄想だけの話となってしまっていることが良作ではあるが傑作とはいえない理由だと。

この作品は見せ方が良いので退屈せずあっという間にラストまで持ってくるからそこはそれほど気にしなくていいかもしれないけれど、こう考えることで逆に「手の混んだ人ならきっとこうするだろうな?」という自分の脚本術が少し上がったような気持ちになった・・・・・・・・(そのノウハウを発揮するのはまた別問題だけど・・・・。)

●中村幸一監督「katami」(16min.)
写真無し

見てて一から十まで腹が立つ作品(笑)。
まぁ「仲間と飲みたいからそのネタに映画を撮る。」というのは、それがポリシーならかまわないけど
だったら映画じゃ無くてもいいんじゃないの?というくらい作品に意味が無かったよなぁ。
ここぞと出てくるガンアクションは入りから締めまで全編トホホだし、事件は無理無理感を覆い隠そうともしないし、内容も演出もどこをとっても粗だらけでまたそれを直そうともしない。
結局そうなってしまったのは「飲みネタ代わりの映画制作」というポリシーから来るわけで、そういう面から見ると一連の作品は確かに矛盾が無い。その意味では彼らの作品は何も間違いではない。文句言う方がおかしいのだ。
この作品に対しては演出がどうのとかストーリがどうのとか演技がどうのとか言っても意味が無いのだ。目指しているのはまったくベクトルが異なるからだ・・・・・・・・。


と、分かってはいるけど
でも「見せられたけど、文句言ったら間違い。」って公式っておかしくネ?
とも、思うようになってきた。

まぁこの辺 突っ込み始めると間違いなく俺は自分の首を絞めることになるんだけど、
棚に上げて言えば
じゃぁお客さんのいる意味は何?
と思うんだよな。
「だったら見て無くてもいいんでしょう?」
と、実は背中合わせなのにそこを都合よく切り捨ててるんじゃないかと。

(段々、自分に向けて書いてることに・・・・)
ちゃんとやったから必ず面白いわけでもないし、ちゃらんぽらんでも傑作もある。
どういう姿勢であるかは出来あがりとは直結しない。

どうせ遊びだからという理由で「遊びに参加してない普通の人(観客)」に対する働きかけまで無くしたものを上映することに意味を見つけてくれよ。
と思う。
才能もセンスも無いがために同じようにまったく遊びでしか映画をやってない俺だけど、
俺とあなたの間にはどうしても納得できない何か決定的な違いがあると思いたい。
それとも何も知らない第三者から見れば俺の作品もあなたの作品も同じにしか見えてないのか?とすると俺は凄く自分が悲しいし、可哀想に思えてきた。

しかし、B-DASHのおかげで中村さんのは何本も見たけど、どういうわけかどの作品見ても頭の冒頭5分くらいは「あ。何だ前に一回見てるな。」と思ってしまう。しかし話が進んでくると「あ、これ初めてだ。」となるんだけど、なんでどれもこれもあんなに同じになるのか?不思議。


●菅野重保監督「港の刑事・自家製ライフル」(10min.)
港の刑事Ⅲ-1 港の刑事Ⅲ-2

ほぼ30年前の8mmフィルム作品。
当時の11PM(NTV)で放映され絶賛されたランダム最初で最後?のヒット作!ということだそうだ。
どうせ学生だし、金も無いから凝っても粗ばかりでしらけるから思い切ってバカやろうぜ!
というノリで作られた作品は、ドラマ作りの上でのある部分の縛りを逃れるせいか発想がめちゃくちゃ自由で傑作が多いが、この作品もそういう楽しさが溢れる良作。
敵だか味方だかまったく説得を放棄した展開に挟み込まれる流血に次ぐ流血がたちの悪いトリップ感を伴う。

↑監督名は異なっているがこの作品も中村幸一監督の学生時代に関わった作品のひとつで、B級らんだむの歴史の深さを思い知る。
が、時間が必ずしも進歩に結びつくわけではないという証明にもなるのか?(←まぁ実際はかなり笑える作品です)
その反面、流血に拘ったことは分かるがそれも30年間の社会の進歩がサム・ペキンパーを古典にしてしまったので今見るには多少矮小化されるのも無理は無いか。
ただこの手の作品では類例が多いため(特に開き直った学生が量産しています)、数を見た上ではどうしても比較の上で評価が決まってしまう。30年は果てしなく遠い。


●高橋コウジ監督「zzz」(20分)
写真無し

う~ん。
ダメダメじゃん。
個人の趣味映画としてみれば、ストーリーに破綻が無く、テーマも明確で、適度に個性的なキャラクターが配置されて、丁寧に撮られていて「よくやった。上手に出来ました。」となるが
普通の映画としてみれば 目を引く良い所も悪いところも無い無特徴(「特長」ではない)な、誰が撮っても同じになるんちゃう?

と思ってしまうぐらい個性が無かった。
感動もしないし、腹が立ちもしない。なもんだから感想が出てこない。良いものでも悪いものでも、その人特有のものがあればそれが「特徴」なんだけど・・・。
しいて言えば「やたらまとめることが上手。」という感じ。
というか「芸」が無さ過ぎ。特に顕著なのは構図もカット割りも「映画」ではなくて悪い意味で「テレビ」になっちゃってること。

物語のテーマとして語られてる「友情」というやつは普遍的なもので深く語らなくても誰もが分かるものではあるが、それが表現方法の模索に繋がらずただの飾りに止まってしまったら、それは「くさい」といわれるものになる。

同居していた学生がふいに失踪してしまい心配していた主人公の下へ突然怪しいおっさんが上がりこみ主人公を縛り上げる。
失踪した友人は「麻薬取引」の一端を担っていたことをそこで知らされる。
で、また現れたヤクザにおっさんともども拉致された主人公は組織の中での勢力争いに巻き込まれたことを知ると同時に失踪した友人が実はやはりヤクザの仲間になっていたという事実に出くわす。

で、ここまでの運びでやたら俺の頭に飛び交う「?」「?」「?」

なぜ最初の怪しいおっさんがその部屋に来たか理由が分からない。
その上でなぜ主人公を縛り付けたか目的が分からない。(もちろん下手な抵抗をされないためなんだけど、そもそもそのあとどうするつもりだったんだ?)

でもって後から来たヤクザも怪しいおっさんを拉致するが、どうしてその場所が分かったか、またなぜそこに来たのか、でもって主人公の青年も一緒に拉致した理由が分からない。
で、肝心のテーマだけど同居の友人を頭っから良い奴と信じきってる心象が理解できない・・のはまだいいとして・・やっぱり実際その友達がヤクザで「金が欲しくて薬売ってる下種な野郎」で。その「巻き添えくって拉致された挙句殺されるかもしれない」という状況で、まだその友人を信じる神経が分からない。
というよりテーマを語るのならばそこを描かんでどうして見てる人を納得させられるのか?
水戸黄門の印籠のような「出しさえすればみんな納得」という手法は巷にはびこってるのは確かだけど、それ「楽したいからやってる」だけで、テレビはそんなもんばっかりやってるからドラマの視聴率が落ちたりするんだぞ。

たぶん、(というかほぼ確信持って言える)が この描き方の先に正解は無いと思う。


●井上たかし監督「LIVE SHOW」(32min)
LIVE SHOW


主人公の若い女の子が割のいいバイトとして誘われて始めたのが「自分の部屋にカメラをセットし、それをインターネットで流す」というもの。
たんなるスケベ親父相手のエロサイトかと思いきや実は殺人中継をしていた。

という流れのホラー映画なんだけど・・・・・・。
作者の作品をどういうポジションで作ったのか見えなくてどう考えれば良いのかかなり困る。

もうすでに過ぎ去ったとはいえ一時は大流行したホラー映画のジャンルにただ乗っかっただけとしか思えないぐらい(アマチュア作品として)平凡だった。

キャラクターも立たない登場人物たちがただただ居流れてクライマックスのアクションまで繋げていくだけの進行もイヤイヤだったけど、突然現れて主人公を襲う肝心のモンスターがアイデア不足。
モンスターを倒すアイテムが携帯の電磁波や磁石などの強い磁力だということでなんとなくインターネット上を移動してきたのかプログラムとしてなのからしいが、境界があいまい。
要するにモンスターを成立させるための設定や縛りがゆるすぎて、実体化してるのかしてないのか?一匹しかいなくてそれが死んだらもうおしまいなのか(ネット上ならどこにでもいつでも現れるだろう?)?モンスターのあのコスチュームはなんの意味があるのか(キャラとしてデザインに魅力が無いどころか何か考えようとした節も見えないしw)?

結局この作品は理不尽な理由にならない理由で殺される、そのアクションが見せ所のはずだど・・・・
主役の女の子






一番の見せ所の芝居がダメダメじゃん・・・・・。

そこが困る。
あれで「良し」と判断するのはどうか?
さらに言えば芝居が出来ないなら出来ないで少なくとも演出で何とかするなりの抵抗をして欲しかった。
カット割にしろ構図にしろとにかくアイデアと技術が足りないから誰かの不足分をカバーできずに作品そのものの質まで低下してしまっている。そういうことを下敷きにすると、エンターテイメントとして誰かを楽しませるために作ろうとしたのか、仲間と楽しく映画制作を体験したかったのか、製作意図が分からない作品だった。

それよりなにより不満なのは世界観の小ささ。
この点については 「何を作るか」という作家性に抵触するので「自分ならこうする」は批評・感想としてはあまり正しくは無いのだが、この作品で主要モチーフとなっている「インターネットで全世界に中継される女の子の惨殺シーン」って、何が面白いかって、それを全世界の人が唾を飲んで見ていることじゃないか?
なんてステキな題材でしょう!
ああ、なのになのに・・・・
インターネットを単にモンスターを成立させるアイテムどまりにしたことが、なんて もったいない!

こういうところが先に書いた「作家性への抵触」ということになるんだけど、
この作家が構えた弓の先には獲物として小鳥がいる。けど、ちょっと向きを変えたらそこにでっかい鹿か猪がいるのだ!
という感情がどうしたってある。
例えて言えば「志村~!後ろ後ろ~!」って感じ(笑うところ)。
作者の標的がたとえ最初から「小鳥」だったとしても、横に鹿や猪が見えてる人にとってはどうしたって矮小に見えてしまう。
「小鳥だって素晴らしい獲物」と言うにはそれなりの説得力が必要だと思うけど、この作品は「鹿や猪をあえて捨てて鳥を狙った」風には見えなかった。見えていたらもう少し説得とか言い訳(リーディングっていうんだっけ?)とかあるべきだと思うし。

あと事件解決の鍵になる男が天才ハッカーとして出てくるけど、伏線を彼に集中させ過ぎで、ますます主役の女の子の存在意義がなくなり ただの悲鳴マシンになっちゃったってところ。
そりゃ、わけも分からず怪しげな奴に殺されかかればそうなると言えば言えるけどあまりにも受身過ぎないか?

と、考えると作者が作りたかったのはドラマではなくて「お化け屋敷」だったのかと。
だとすると一番最初の感想に戻る。一番の見せ場はもう他の芝居がグダグダでもそこだけよければすべてよし!というぐらいのステイタスのある場面だったはずだが?
俺の感情はもうスパイラルに陥ってるよ。


ああ、そういえばこの作品のこととしてではなく世の中の創作ドラマ全体のことに関してふと気づいたんだけど
「天才ハッカー」って役割もうそろそろ何とかしないか?
もう記号化されちゃって、そう名乗れば何でもOK的な描き方になり下がって、いわゆる「ご都合主義」な解決のためのドラえもんアイテムに成ってる(特にマンガの世界!)。
少なくともパソコンやネットに関するうんちくの無い描き方はご都合主義っぽくなるし、そんな都合の良い人がすぐそばにいたりそこらで簡単に捕まえられたるすること自体もうなんだか・・・・・。


以上。










また敵作るなぁ。




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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

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プロフィール

どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
商業映画ハ嫌イデェス!

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