自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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ああ、懐かしい去年の自主映画上映会の感想その1

Category: 上映会・作品感想  
『なかのムービーラプソディー』 (中野区教育委員会後援イベント)一昨年から年1回 なかのZEROで実施されている自主上映イベント。
何度か誘われていながら足を向けていなかったが、今回やっとこさ出かけた。
作品を見るというより「イベント」を見に。

まずは個々の作品の感想を。



 
●「日本名作劇場 桃太郎」
●「世界名作劇場 チビクロサンボ」 いずれもEMIPON.COM作

日本名作劇場 桃太郎

桃太郎は初見。チビクロサンボは再見。
抑揚のまったくない平板であることを強調したナレーションが作品の異様さを絵の可愛さが決して素直でないことを強調して、異常な出来事をひきつける良品。
舌にピリッと来る毒気が味わいで楽しく見れる。特に誰にも好かれるであろう絵柄がスパイスのほうを引き立たせる逆転現象が楽しい。
が・・・・。
本作品を含め同監督の作品は過去に種々見ているが、いずれも高いところで技術が安定していて不安無く見れるが、その分感動も小さくなっている。
先に書いた「誰にでも好かれる良い絵」であることが感動の破綻を押さえ気味にしているところか?
ひょっとして見せ方違うんじゃないのか?と、この作者の作品を見るたびに毎回思うが、今回も思った。
逆に日本昔話でもきっちりと描いたものを見たくなった。

●「スキデスガナニカ?」 福住理恵(ガチャ×2ビ←ム所属)
スキデスガナニカ?

綺麗は綺麗な画面だけど、型にはまった広告的(マス商業的)なアングルや構図が作家性よりも模倣性を強調して感情がしぼむ。
東急ハンズに昔売っていたオーディオテープラベルの写真集のようなというべきか。
オープニングの屋外の空から舞台となる高校の教室へのカットのつなぎも、確かに「テレビで見るような」映像では有るが『教科書的』。
その分感動は減速する。
この辺、作者のことが分からない無いので
「素人がプロの映像から自力で学んでここまで上手に真似できました。」
ということを評価すべきなのか
「ありきたりすぎるカット展開に新鮮さがなくて感動しない。」
とすべきか分からないが、ここは個人の感想(ここは俺の感情のプレゼン)の場なので、後者を選択。
万人ウケするものではあるが、灰汁が無くて食い足りない。

全体的に雰囲気作りは良く出来ていて機材の不足を補う演出力もあるが、描かれる物語が薄味すぎておいしくなかった。
ストーリーは
「人間観察好きで授業中もノートにクラスメートのクセや変化を面々とつづっている男の子と、写真好きでマイペースな女の子のちょっとした交流」を筋としているが
写真好きといっても劇中描かれているのは屋上でカメラを持ってダンスしているところばかりで
カメラの機械がすきなのか、写真を撮るのが好きなのか分からない。
撮った写真が劇中殆ど現れないからだ(なかったよな?全然覚えてない)。

写真好きという設定は『どんな写真を撮る人なのか?』がキャラクター付けに必要だと思うが?
だから「カメラ好き」を表す記号がただ屋上でカメラ振り回すことでしか表現できてない。
対象に深く踏み込まないという手法のライトポップな作品と言えば、そういうものかな?

形は整っているが、「なぜそういう形なのか」意味が希薄なので感情移入がしにくい。
他人事に思えた。

手ぶら防止モードでのPAN映像を見たのは初めて。ああなるほどこうなるん
だ、と納得。
※別に怒ってるわけではない。

●「リー☆トンプソンズ」 山本拓
リー☆トンプソンズ

高岡・池田鉄洋と濃い面々ばかりが出てくる不条理ギャグ。
めっちゃおもしろい。
ラストで少しオタクジャンルに偏ったところでなんか普遍性を弱くしているような気がしないでもないがそれでも十分面白い。

が。
なんちゅうか、細かいところはさておいて、大雑把なところで俺の印象が「山本作品と高岡作品の境界があいまいになってきている」気がした。
俺の場合は付き合いが高岡の方が長いだけに、「高岡っぽい」という『感想』を持たざるを得ない。
もちろん反対に山本監督と長い付き合いがある人には高岡の方が『山本パクリ』に見えてるかもしれん。
それとも、混同する方が馬鹿なのか?テクニックにはやはり明確な違いがあるのだけど。
俺的にはテクニック的なところよりもメッセージというか内容というか物語というか、そういうところでの山本監督の自我が見えにくいところに不満と不安。
この部分は俺個人の鑑賞力の無さが原因でたんなる誤解・誤読となっている可能性も低くは無い。

ただ、個人的な話になるがもうすでに引退しているかつての高岡の親友で異端の映像作家であった佐藤大介という男も高岡に心酔していたが
彼の場合、互いに刺激しあいながらそれぞれ独自の世界観を確立していったところを見知っているだけに、山本拓監督の作家性に弱さを感じたことも確か。
まつきあいが浅いせいかも知れん。
そういう余計な背景を切り離せば本作品は十分に面白い。

●「オセロ」 松田彰
オセロ

松田彰作品だといえば松田作品だし、飯野歩作品だと思えば飯野作品にも見えるし、石出裕輔作品だといえば石出作品に見えるが、むしろ三人の個性を抑えることが主眼だったのか誰のものとも感じられない無個性になってしまったような。

先の三人のきらびやかな経歴を持つ作家が地元の文化祭のためにということらしく
「四街道文化センターの和室を使い、6時間で和室のみうを使って短編映画を撮るのを皆さんに観ていただく」という企画で作られた作品。
http://www.ishideyusuke.com/tedukuri.html

ということなので、制約ばかりが実験的で、作品的には冒険的なことや実験的なことはかっちりと影を潜めてしまった。
※なんといっても笑うところが無い!wwww

製作過程が違うので、この作品でそこを求めても仕方ないとはいえ、それならああいう場で見せられることに観客はどう応えればいいのか?
一幕モノの舞台で二人の女子学生だけの人物のオセロゲームを介在につづられる会話劇はサスペンス的風味もかもし出して良品ではあるが、そつなさ過ぎて感動が薄い。
(あと、セリフの中だけに出てくる人物の名前が多すぎて人間関係が掴めなかった。あ?俺だけですか?そうですか?)

もちろんあまりにも限られた中で作られたとは思えないクオリティにはなっているが一方で窮屈感は否めないし、
松田、飯野、石出に俺が期待しているものではない。
(あれはあれで良い作品だ。という気持ちも少しはあるけどね。)

むしろ気になったのは
主催者が拘って編集してもらった本編前のメーキングこそが肝だったんじゃなかったのか?ということ。
せっかくこだわってって付けてもらったぐらいだから主催者もそのことはつかんでいたはず。

なぜそんなイベントをことをしたのか?
どうやって講義したのか?
内容についてはどこまで説明するのか?
演出意図などの説明はあったのか?
イベントの中で何を一番伝えたい(面白がらせたくて)と想定した行事だったのか?
見てる人から質問とか無かったのか?
思ったようにいかなったところ、思った以上に上手くいったところ。
などなど。

メイキング映像はそのつもりで撮られてはいなかっただろうから、説明不足になっているのは仕方が無いとして、
であればこそ、主催者はそこを言葉を尽くして『なぜあのイベントが素晴らしいのか』をステージで説明すべきだったと思う。
せっかく面白いイベントだったのに、サラッと流してしまったところが目立たないけど主催者のエラーだったと思った。

●「バーバーライノ」 高崎哲治(SLEEPiNG RaCHAEL 所属)
バーバーライノ

めっちゃ、おもしれ~~~~~~。
いろんな不条理な出来事や人物や心象が綺麗に収まって楽しい和音になっている。
不条理なのに『いいお話』になってるところに上手さを感じる。
こういう話の作り方ができる人ってのは羨ましいもんだ。

程度に差はあれ変な人というのはいろいろあれど、やっぱりどこかわかる部分があり、それが可笑しくもあり、哀しくもありそんなもでも、日常というものは全部包み込んでしまい押し流してしまう。
登場人物たちはとにかく目の前の奇怪な出来事に反射的にしか動かないのだが、それこそが日常の強さなのかも知れんと、頭でっかちでついつい物事に考え込んでしまう俺なんかは感動する。

あと女優が秀逸。特に女子高生役の目の小さい娘が素晴らしい。
気づかない人も居たんじゃないか?というぐらい二役をこなしてるし(それも極端に性格の違うキャラを)。
やりすぎず、押さえすぎず素晴らしい頃合で演じている(他の人たちもそうだけど)。
ストーリーは説明しないけど、劇中 謎の男が剃刀を飲んだあとの苦痛を見守るリアクションは俺大好き。

終了後のトークで原作者と監督が言っていた
「もてない男は広がらない話題を振って話が止まる。」という件は「ああ!そうか!」と心で膝を打った。

舞台演劇は媒体の特性として、演じている場所に向かわなければ決して見ることが出来ず、地方の小劇団なんて、どんなに素晴らしくてもそうおいそれと見に行くわけには行かない。
対して、映像メディアは、いつでもどこでも再現できることが最も優れているわけだから、もっと地方の作品を見る機会があればいいなぁと思う。

しかし、あれだなぁ・・・・俺って面白いものをみたときって言葉無いよね。

■総評
というより、俺の場合、上映会に行くのは作品を見るよりも「上映会を見に行く」目的のほうが高い。
元々、イベントそのもの(全体)も作品という思い込んでる俺は、やはりその面でも感想を持たざるを得ない。

相変わらず招待した作品に対する溺れそうな愛情に見ててげっぷが出てくる。
丁寧で舌足らずな文章でつづられたパンフレットはマジでそこに載せられてる作品に嫉妬する。

で、この上映会を見に行くのは初めてだけど知人が主催者であることもあって、それなりに生ぬるく注目はしていたが、
今回実際に見てみて、「主催者の存在感が終始無さ過ぎ。」じゃないかということがひどく気になった。
「どんな自主上映会なの?」というところがさっぱりわからない。

実際、今回の作品セレクトは自主映画を知らない普通の人が見ても十分に満足できる水準でそろえられている。
身内びいきを排除して良品ばかりをあちこちの上映会に出歩いて探している努力は今後どんどん出てきてほしいベクトルだし
しかし、やはり「自主映画って何なの?」という面で「自主映画自体」が自分を説明する言葉が確立していないことが背景にあるとしても
じゃぁ、あなたたちはどんな上映会なの?というところで説得力を持っていない。

一応作品の募集要綱の中にある程度の審査があると書いてはいるが、コンテストというわけではない。
自主興行だから「主催者の赴くまま」というのも手法としてはありだが、それならば「何をもって良い上映会です」と訴えるのか?
「面白いですよ」とか「いい作品ですよ」は糞作品の自主興行でも同じく使われる言葉で、これは何のアピールにもならないことはこれまでの自主映画の活動で十分体験しているはず。
形式的にも「中野区教育委員会」の後援をつけるのならば、少なくとも中野区の自主映画を知らない議員に「何のためにやっているイベント(活動)なのか?」を説明する、アピールするものを作らなければいけないと思う。
映画の興行だけならばフィルムライブラリーで商業映画の貸し出しはやっている。そんな有名作品でなくわざわざ自主映画オンリーでやっている理由。
このイベントにはその説明責任があると思うし、そんな贅沢で素晴らしいことをこの主催者はできるようになった足がかりを持っていると思う。

「あくまで作品が主役。主催者は裏方」という日本人好みのスタイルが取れるほど自主映画は成熟していないからね。

もう三回もやったんだから今後さらに良い作品を集めるためにも、たくさんお客さんに披露するためにも
どんな上映イベントなのかという活動の指針は立てるべきだと思う。
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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

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