自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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伊勢田大博覧会(後編-改)

Category: 上映会・作品感想  
前はヘンリーダーガーと伊勢田勝行との共通点から推測と創造を膨らませてみたが、もちろんこの二人の際立つ違いについても触れたい。

非現実の王国

ダーガーが生涯孤独で自らの作品を秘匿し続けたのに対し、伊勢田勝行は漫画は出版社に投稿し、コミケでコスプレして同人誌を売り、卒業した大学のサークルの新歓コンパに驚愕のコスプレで登場し自由自在にカラオケを唸ってなど、その生活はダーガーと比べると華やかに彩られてる。根っこは同じと思われるくらい似ているこの二人をこうまで徹底的に分けたものが何か?

 一つは今の日本の状況(文化)が伊勢田監督の存在を許せるほど成熟しているからだと思う。どうも年齢は俺と彼はかなり近いようだから想像するが、俺たちが子供のころから身の回りに漫画が溢れ、同じ趣味を持つのは周りにいくらでもいた。一昔前ならばロリコンという性癖も今ではメディアが成り立つほど市民権を得ていて普通にカミングアウトしても「個性」の一つとしてしか理解されないぐらい普遍的なものになっている。となれば隠れる必要がないわけだ。ダーガーの描く少女たちは絵の中で裸になり内蔵を裂かれたりしてるが、19世紀のアメリカ・シカゴでは変態の烙印を押されて迫害されるかもしれないが、21世紀の日本では神降臨だ。お手本や類友は周りにいくらでもある。また、テレビは24時間流れっぱなし、ありとあらゆるジャンルのゲームが乱立し、雑誌や単行本などの紙媒体も専門職ですらすべてを把握できないぐらい成熟しきった今の日本では殆どのアイデアが出尽くした感があるほどだが、そんな中で「成長=変化=他人との同調」という人間がたどるべき進化を完全に否定しちゃったというスタンスはまったく無い。
生みの親(時代・環境)から生まれたからこそ親の懐で生きていくことが許された。
それが彼とダーガーを分けたものだと思う。
もし、仮にダーガーが今の日本に生まれていたらきっとコアな人々に愛されて新宿の地価の怪しい飲み屋で個展を開いていたかもしれないという想像は容易い。同時に伊勢田監督が19世紀のアメリカシカゴに生まれていたら、彼の作品は死ぬまで誰の目にも触れなかっただろうと思える。

 
もう一つの大きな二人の異なる点について。
ダーガーが殻に閉じこもり外界と遮断された中で創造を続けていったのはある意味自然な成り行きではあるが、伊勢田氏ほど回りと深く接している(あくまで比較的にだけどw)中でなおかつ外界との接触を絶ち続けることは普通の人の感覚ではかなり難しい。頑固とか頑迷だとかそういう「抗う」と言った一種のネガティブな意味合いではとっくの昔に力負けしていただろう。ありとあらゆる雑音の中に身をおきながらも一切耳を貸さないで生きていく方法とは?アイマスクをつけて耳栓をすることが一番簡単で確実。

で、更に仮説を進めると、そのアイマスクをつけて耳栓にあたるものが作品にもメイキングにもその他のあらゆるパーツから溢れ滲み出してくる「強烈なナルシズム」ではないかと推測している。
ダーガーのアートのレビューをネットで見ると、彼の作品を主に現実からの逃避先として捕らえる論調が多いが、それはダーガー自身の自己否定が根底にある。反して伊勢田監督はヒロインの声はアニメだろうが実写だろうが(!)絶対自分でやる(ヒロインは譲らない!)という姿勢、これが一番分かりやすい例だと思う。
人の想像の範疇を軽く飛び越すナルシズムは言葉を変えると完全なる自己肯定では無いか!ここがダーガーと伊勢田氏の決定的な違いではないかと思う。完璧な自己肯定があるので周りから何を言われても「間違っているのはお前ら!」なのでグラつかない。この推測を進めるとMCのトークの中で披露された数々の驚愕伊勢田エピソードも理解しやすい。また変化球としても「携帯無い・パソコン無い・DV無い」というのは、彼の新しいものに対する拒否反応と言うよりは「俺が身につけている技術は完璧だからそれ以外は必要ない。」あるい「俺が好きなものは究極で至高のものだから絶対に捨てない。」という彼の生き方のメッセージとすら受け止められる。新しいものを受け入れることは反面それまでの自分を否定することと同義であることを考えると、文明についていけなくなるというのはナルシズムの違った現われではないかと思えるのだ。むしろ絵柄が20年も変わらないのはすでに最高の状態なので変わる必要が無い(むしろ変わらないように努力しているのではないかとすら思える)ことの証明ではないかと。

ここまで書くのに随分時間がかかったが、
伊勢田って何だ?
と考えることが楽しくてここんところ頭の中はずっと伊勢田祭りだった。
一見似てるところを手がかりに違うところを見つけることは対象を考えるのにとっても便利な方法だ。
違うことこそ個性だからだ。


付け足しだが今回のイベントで様々な方向から指摘され続けた音声の悪さの対策として「テロップ」が入ったが、それによってストーリーがちゃんと追っかけるようになったせいで伊勢田作品が描くお話は思っていたのとは裏腹にかなり芯がしっかりしているマトモなお話で、デコレーションさえ伊勢田で無ければ普通に楽しめる作品だったことに驚いた。
特に最後に紹介された作品ロザリオにおねゲッchu
                      ↓  ↓
                iseda2.jpg


「女子が野球選手になれない」「最初にベンチ登録した選手しか試合に起用してはならない」という野球のルールの部分を除いてもクライマックスは楽しかった。
彼の描く世界は彼が描かなければひょっとしたらマトモに商売として成り立つほどの作家になったかもしれないと思う半分、お行儀の良い伊勢田に今の伊勢田を越えられる魅力があるだろうか?と残りの半分は思う。

この日「作家性」とは何か?という答えの出ない定義を求める思考の放浪はまた新たな枝道に迷い込んだような気分になった。
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テーマ : アートイベント    ジャンル : 学問・文化・芸術

Comments

隔靴掻痒 
ああ、うまく書けない~~~~~!

それとなんか結論が平凡でつまんない。
ただ、正直そう思ったことは確かなんで書き留めておく。

あああああ!でもなんか言い足りてない!解剖できてない!

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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