自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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心霊写真よもやま話。

Category: テレビ  
俺が子供の頃、心霊写真ブームというのがあった。
もちろん世の中の複雑さと真剣さを知るより先に年頃の僕らはハマっちゃってた。

そんな俺たちのヒーローが心霊写真研究家(当時の俺たちの中での肩書きw)の中岡俊哉という人だった。

中岡俊哉ご本人


調べてはいないが彼の代表作である「恐怖の心霊写真集(二見書房サラ・ブックス, 1974) 」はベストセラーだったんじゃないか?

バイブル
当時のオカルト少年のバイブル


おかげで夏の風物詩的アイテムとしてメディアには昼夜問わず全国各地の老若男女が撮った秘蔵の不思議写真が毎日どこかで紹介されてるというぐらいの流行りよう(えっとぉ・・心象風景的に誇張されて書いてます)だった。

なんでこの心霊写真というジャンルがもてはやされたかというと

まず正統派的には
幽霊とか妖怪お化けというものは本来体験者の言葉でしか伝えることが出来ず、
どんなに恐ろしい話であってもどこかに「うそ臭さ」とか「作り物っぽさ」を付属せざるを得ない。
早い話、「お前に言ってることは本当か?」という疑問符を取ることが出来ないジャンルだった。
それが運がよければ「霊は写真に写すことが可能だった」ことが判明したおかげで
「幽霊の存在の証拠化・証明化」ができた。と思われたこと。

そしてメディア側にとっても
心霊写真というアイテムは活字離れのギアが4速から5速に入った時代の中で、一目で見せられる幽霊というものがどれほどありがたい存在であるか!
しかもありがたいのは
「専門家が撮ろうとして撮ったものではなくて、一般の人が別の意図で(記念写真やスナップなど)撮ったものに偶然写ったもの」こそOKだったのでそれまで気にしてなかった人たちが一斉に過去写真を総ざらいしたもんだからストックが山ほど出てきた。

この二つの思惑が背景にあっての心霊写真ブームだった。

 
高校に合格した記念にスチルカメラをもらった俺は写真と映画にのめりこむことになり、オカルトからは遠ざかっていくのだけど、その間も折々目にすることもありその後のブームの変遷をぼやっと見ている。
「あ?随分心霊写真のレベルが落ちたなぁ。」と思ったのが俺たちのブームの頃には無かったジャンルとして主流派になったのが「知らない手が写っている!」というのと「私の足が消えた!」「友達の首が無い」といった類のもの。

お父さんオチ込みすぎだよ
お父さん、落ち込み過ぎ♪

こういう写真って確かに珍しいけどカメラや写真をやってる人から見ると神秘さもお化けっぽさもかけらも無い「ただの失敗写真」なのでそんなものを取り上げてるテレビを見たとき
「え?これを心霊写真といい始めたの?」と驚いた。
確かにそれまでの心霊写真のほとんどが光の加減か影のいたずらかハッキリせず、時には見える人と見えない人とがでて来てしまうあやふやな写真ではもう引っ張っていけなくなったんだろうな と思った。
「ある!」とか「無い!」とかだけが判断基準で良くなり分かりやすさが強調された。


その後、オーブが注目されだしたが、ここにきて「あ、もう終わった。」と思った。

まずレンズ拭け
まずレンズを拭けと言いたい!

この現象は子供の頃からあったのにその頃は誰も見向きもせず今頃になって・・・・・。
つまり心霊写真のブームの移り変わりといってどうか分からんが
「いつも これが心霊写真なら昔の写真のアレも心霊写真なのと違う?」という
倉庫の虫干しサイクルを作り出していくのがデフォルト化しているのじゃないか?と思う。


さっき「もう終わった」と書いたけど、実際には不思議がりたい人は永遠に尽きることは無いので今後もいくらでも新しい心霊写真は生まれてくるに決まっている。
終わったと思ったのは「新しい心霊写真の見つけ方が結局は昔の写真を穿り出すことでしか見つけられない。」という手詰まり感が俺にそう思わせたのだ。

心霊写真鑑定をする人で「プロの写真家」ってのがいないのが心霊写真が何であるかをある意味象徴している。
懐疑派の俺から言わせてもらうとせっかくのブームの中で心霊研究家がなすべきことは、写真に写っているものが自縛霊なのか浮遊霊なのかという分類ではなくて
何ゆえ目に見えないものが写真に写るのか?を研究することだったと思うけど
多分それすると食っていけなくなるから今後も誰も絶対やらないだろうな。

確かにけっこう不気味なものやなぜ写ったのか何が写ったのか分からん写真も目にする。
だから全部を否定するわけではないけれど、写真の理屈をみんな知らなさ過ぎ。
写真を知ってる人から見ると「コーラを飲むとインポになる」とか「写真に撮らると魂が抜かれる」と言ってるのと同じレベルの迷信に振り回されてる人みたいで滑稽だ。
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Comments

No title 
中岡俊哉大先生と佐藤有文大先生と新倉イワオ大先生は、昭和の小学生を恐怖のどん底に突き落としたトラウマ三銃士だよね。
昔の心霊物は、こわかったわー。

今の心霊物の江原啓之とか美輪明宏とか細木数子とかってのは、ゲテモノに姿を借りてるけど、実は「人生論」なんだよな。
テレビばっかり見て育って、本を読んだり自分でものを考える習慣のない子が、凡庸でくだらない人生論にまんまとひっかかって、感動して泣いたり金をつぎ込んだりする。

トラウマ三銃士には人生訓も感動もへったくれもなかった。
中岡先生みたいな、まっとうなゲテモノって、最近いないよなあ。
No title 
>ゲテモノに姿を借りてるけど、実は「人生論」なんだよな。
それだ!
だから最近のオカルト番組は俺嫌いなんだ!
人様の生き方や人生を上から目線で断じることの
仮に見えないものが見える能力を備わっていたとしてそれがどうして人にああしろこうしろといえるのかが不思議。イチローに「名前変えろ」とか言われえて帰る奴はおらんだろう?

嗚呼・・・・
今の世の中いるんだよなぁ。

俺の嫌いなのはそういう上から物言う尊大な奴じゃなくて、自分でものを考えずそれに喜んで従う馬鹿が嫌いなんだと。


それにしても昔のトラウマ三銃士は徹底的に、容赦なく怖がらせてくれたよなぁ。

出典は忘れたけど東大寺の石像が子供を食べた話はしばらくトラウマになったよなぁ。
No title 
>出典は忘れたけど東大寺の石像が子供を食べた話はしばらくトラウマになったよなぁ。

なんだそれ? 知らないけどむちゃくちゃ怖い。
俺に新たなトラウマを植えつける気か!
No title 
あの頃一回読んだだけなのにこの年まで覚えているってんだからマジで怖かったんだけど、主人公が奈良公園・東大寺境内でくつろいでいると さっきまで周りで聞こえていた男の子の声がぷつっと聞こえなくなったで振り返ると狛犬のような石像の口に男の子の足が見えてて、そのままゆっくりとズルズル引き込まれていったいった。という話。

子供心に「ふいに行方が分からなくなる子どもは石像が食べちゃっていた」と理解したもんだから怖くて怖くて。
今思い出したけど 
自縛霊とか浮遊霊という単語は中岡大先生から教わった。
写真に写った不気味なものをそれまでの坊主や霊能者が「300年前に病気で両親をなくしたオトネさんという娘が奉公先の大名屋敷で折檻されて自殺した~」とかいう「お前見たのか?」という話をしていたのに対し、大先生は大雑把にしか分類しなかったことで逆に「科学者っぽさ」を醸し出せたことが信頼を厚くしたと思っている。
で、そのせいで幽霊が実在するという気にさせられて~~~~~!
辛い幼少期を送る目にあったんだよなぁ

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

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