自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

読書感想文 雪国 川端康成

Category: 読書感想文  
【先生へ】
きょ年のなつ休みのしゅくだいで書いたどくしょかんそー文が先生に褒められたので今年のなつ休みもじゅん文学というやつをひとつたしなんでみようとおもい本を読みました。

今回は川ばたやす成の「雪国」を読みました。

雪国@川端康成


なんで川ばたやす成かというと、日本人で最初のノーベル文学しょうをとった人だからです。
「伊豆のおどり子」にしようかまよったんだけど、おどり子がストリッパー
だったりしたら感想書けないのでやめました。
それとなんといっても「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という文章はなんとなくあちこちで聞いてて覚えていたからです。

で、電車の中の生き返り行き帰りを使って2週間かかって読みました。
おもしろさが分からなく、かといってつまらなくも無かったです。
まえのなつめ漱石のときもそうでしたけど、事件が起きなくてたいくつでした。
じゅん文学ってどうしてなにも事件がないんだろうか?
事件を起こさずなにを書こうとしてるのでしょうか?
それを考えると夜もおちおち寝られませんでした。

受賞式


ストーリーは主人公の何もしないでふらふら温泉街に泊まりに来ている島村という石つぶしと、駒子という温泉街の芸者という もうどこにも救いの無いダメな人間同士のちちくりあいでした。
ほとんど駒子のおしゃべりばかり出てきますが彼女は文句ばっかり言うくせに主人公のところにやってくるツンデレでした。
僕はツンデレがあまり好きではないのでイライラしました。
でも本当にイライラしたのは駒子がしっかりしたいい人なのにだらしない主人公の島村なんかにいれあげてるところが「不幸になるのが目に見えるのに。」と思うからです。
で、この二人の話なのかな?と思ったら葉子が出てきてなんか本人に自覚が無いようだけどやっぱり分かりきってる不幸になろうとしています。
バカばっかりでてくることにイライラしました。

そうです。
イライラさせられるということがこの作品を読んで感じた感情でした。
たしかに大きくボクの感情は動きましたがそれは心の良いぶ分ではなくてあまり見たくないぶ分を動かされました。大人の人は「スカッとした!」以外の気持ちわるくなっても「良かったぁ!」というんでしょうか?

タイトルは雪国でしたけど、夏の話もありました。
雪国と一度名づけられるとどんなに暑くてもよその地方の人からは雪国といわれ続けるのでしょうか?
かわいそうだと思いました。

 
【君へ】
一年ぶりの感想文ですね。
去年は夏目漱石の感想文で楽しませてくれましたが今年は随分と大人っぽいものを選びましたね。
君がこれを選んだことに確実に君が大人になっていくのをみるようで驚きと感動をしています。
君の感想は毎回自分の感情を開けっぴろげの正直に書いてあって点数としては良くなくても君がどういう人かが分かるので好きです。今回も楽しませてくれましたので◎です。

さて、今回も君に釣られて川端康成の雪国を読んでみました。
やはり先生もこの物語の冒頭の一文を何度も聞いていて「一体このあとどんな言葉や物語が続くのか?」ということはかなり興味を持っていたからです。で、読んでみました。
2回も・・・・・・。

2回も読んだ理由は二つあります。
一つは情景・心象ともに文字で描かれた絵のあまりの綺麗さにびっくりしてもう一度確かめようとしたからです。本当の絵画なら写真でも何でも手元においてじっくり眺めることが出来ますが、言葉・文字で書かれた風景画は目で字を追いながら頭のキャンバスになんども鉛筆を走らさなければすっと消えてしまうからです。
こんな表現方法が文字にあるのかと魂消ました。

冒頭の汽車の中の風景などは先生が学生の頃夜行列車に乗って東京に出てきたとき、ひたすら窓を眺めるしか時間を消費できず、情景の変化だけが淡々と続いたことを ついさっき経験したかのように臭いと味とともに思い出しました。
長年疑問だった「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という超有名な冒頭に一体どんな言葉が続くのかと思っていたら「夜の底が白くなった。」でした。
先生、やられました。
格好いい!
雪国では大量の積雪により地面がすべて白くなることは当然だと思いますが、夜になると遠景の山や空がすべて闇に取り込まれ白く鈍く光る地面だけが視覚に捉えられるようになりますが、そのことで「この世には地面しかない」という感覚に置き換わります。もちろんこれは一方が強調されることで他方が認識から消えるという相対感覚に過ぎないのですが、唯一認識の上った地面を「夜の底」としたところにデッサン力の素晴らしさが堪能できました。
「靴の底が薄くなった」なんていってる場合じゃないです。
もう逐一描写を紹介しませんが登場人物たちが駅で繰り広げる風景や、夜の温泉街の中を行き交う駒子の風景、駒子の部屋など一コマ一コマがすべて濃密なデッサン画でした。
道理で話が進まないわけです(笑)。

東山魁夷花明かり


さて、この本を二回読んだもう一つの理由ですが
面白さが分からなかったからです。
いざ感想文を書こうとしたら先に書いた風景絵画としての感想しか持ってないことに気付いたのです。
「あれ!何の話だっけ?」って奴です。

イヤ、そのあと一生懸命記憶の中でで作品を反芻してみるのですがやっと出て来た最初の感想は
ぐうたら男に入れあげる田舎モノの都合のいい女を誇らしげに書いてるイヤな小説。とか言う感じでした。
実際男にとってあまりにも都合が良すぎるんですよ。この駒子って言う子は。
主人公の島村は何度もこの町に来て駒子とチョメチョメするんですが(そんな描写は実際はありません!)、彼女の抱えている背景の重さに対して主人公の彼は何も与えようとはしないのです。
簡単に言えば「親の遺産でぐうたら暮らして時々田舎に旅に出てそこのなじみの芸者と干渉しあわない程度に暮らす。」男の話。
そうですこの作品は男にとって最も嬉しい理想が描かれているんです。
この作品は昭和10年~12年にかけて書かれたものだそうです。(その後も改定があったりして決定版は昭和23年に完成だって)
まだ家父長制の最後の光芒を輝かせていた頃でウーマンリブが目を覚ますのはまだずっと先の頃。
それならば男どもにとって理想の女性像を具象化させた夢物語と理解すれば良いのだと思いました。

で、本当にそう書こうとしていたのですが頭の隅にパンツを前後ろ逆にはいているような気色の悪い違和感がありました。
それが、もう一度読んだ理由です。
前回、夏目漱石などで純文学に触れていたので少しは免疫が出来ていたことと、「ノーベル賞」取るような作品がそんなうすっぺらい訳が無い!という一種の警戒心からですw。

川端康成


そういうわけなのでこれから書く感想はいつもより高い割合で的外れになる可能性がありますが一つ気が付いたというか、納得した部分があるにはあったのであくまで「感想」として書きます。

一度目に持った感想で登場人物の駒子のことを「男にとって都合の良すぎる女」と書きました。
でもそれは最近のアニメやマンガで見られる仮想的な現実感の無いお人形さんではありません。
なぜなら主人公の島村に比して駒子の背景は生々しい立体感があります。踊りの師匠の家の屋根裏部屋に暮らしている今と、かつての許婚の治療費のため芸者に出たという過去。お人よしと世話好きな性格でいつも貧乏くじを引くけど小さな幸せを追い求め庇の下でも雨がよけれたことに幸せを感じるような女という厚みのある描写があります。だからこそ一方的に与えるばかりで何も得ることの無い主人公島村との一見都合の良すぎる関係が実はすべてリアルだということの表れでもあったんだと思います。
実際、駒子のようにある種(愚かとさえ思えるほど)の献身的な女性というのは昔も今も変わらず存在します。
その例を効率よく収集した作品としてマンガ「だめんず・うぉ~か~」(倉田真由美作:扶桑社)というマンガがありますが、そこにはイヤというほどの幸せな不幸の実例が紹介されています。
科学が進歩しても社会が変わってもそういう不幸な女というのは割合に変化はあっても存在が無くなることはないようです。

だめんずうぉ~か~


でも君はこの雪国に登場する二人の関係はこのまま続くと思いますか?
「絶対ろくでもない結果になるに決まっている。」と思うでしょう?
そうです。実際そんな一方通行は維持できません。どう考えても彼らの行く先は普通の人ではなかなか味わえない修羅場を伴う不幸な結末になるようにしか思えません。
つまりこの物語は破滅へゆっくりと進んでいく人間の情景と心象風景を描いたものだったんです。
しかも、当人達はそれを知っている気配すらあるようです。
君のように「ボクの未来は明るい!」と根拠無く信じきっている若い人には理解できないかもしれませんが、人間にはそういう面が確かにあります。何らかの理由により前に進むだけのエネルギーや馬力をなくした時に人は最も楽に手に入る安楽に身を浸そうとします。するとそれが「破滅」の坂道へのサイドブレーキを外したスタートです。
では、そんな馬鹿馬鹿しくてみっともなくてアホらしい破滅への過程をどうして川端康成はこうも美しく修飾したのでしょうか?作者の感覚では「破滅」とは美しいものなのでしょうか?

違います。そんなものに多くの人は惹き付けられません。
でも確かに先生はこの物語に言いようの無い魅力を感じます。では一体どんな時に多くの人が共通して「破滅」に美を感じるのでしょうか?
そこで思い至ったのが、
破滅が美なのではなく、破滅への道のりが「善なるもの」で出来ている時に、善なるがゆえに そこに痛々しい「美」を人は感じるんだということをこの作品では抉り出したんではないかと思いました。
この物語で描かれる破滅への行程が『美』に修飾されているのは、その根本的原因に女性の献身とか誠意とか善意とかいう『善なるもの』によって作られていることから来てると思います。駒子の愛情がぐうたらな作家もどきの男ではなく普通のサラリーマンに向いていたらこれほど幸せなことは無いかもしれません。でもこの物語では駒子はぐうたら男にほれ込んでしまいます。彼女は何も変わらなくても相手が違うと結果が正反対になってしまう。そうなると他人にはそれを止められずましてや当人にそれを押しとどめることはできないでしょう。
破滅への道程が善なるもので形作られている時、人はそこに「美」を見出すのかもしれません。
いや、善なるものが滅ぶからこそ人は哀悼の念をこめてそれに「美」を貼り付けるのかもしれません。
反対に破滅へと進む彼らに対し見送ることしか出来ない我々は自分への慰めや贖罪の為にそこに「美」をくっつけるのかもしれません。

で、この物語のラストですが残念ながら最後の破綻までは描きません。
せっかく見出してつむいだ美を修羅場で台無しにしてはいけないという心理からでしょうか?
もう一人の破滅の序曲を構成する女・葉子が火事の家から落ちる情景が描かれたところで突然終わります。
先生にも大分純文学への免疫が出来たので、この唐突な終わりにはもう驚きませんが(ちょっとだけ驚いたけど・・ちょっとだけです)、多分それこそが最も破滅への行程で見られる最も最後の『美』の場面だったんじゃないかと今はこの作品にすっかり飲み込まれている先生はそう思います。

さてついでにウィキペディアで作者の事を調べてみましたが、その中でノーベル文学賞の受賞理由として『日本人の心情の本質を描いた、非常に繊細な表現による、彼の叙述の卓越さに対して 』と書いてありました。
具体的に何をさして日本人的なものといったかは分かりませんが、先生が『雪国』という小説に感じたのは「善なるものが滅ぶときに美を感じ、滅びることが分かっていても『善』であるならば押しとどめることをせずに滅びいく様を傍観(鑑賞)する。」ことを指すのだと思いました。ひどく納得できるからです。なぜならばその感情の延長線上に『滅してやまない』というスローガンを持ち末期の太平洋戦争に浸った時代を日本人は持ってることを知っているからです。
中国・アメリカという巨大な相手に対して『滅び行くことも美しい』という価値観があったからこそカミカゼ特攻なんてシステムが出来上がって維持できたのではないかと思うからです。片道燃料で戦艦に突っ込むパイロットの心情は『お国を守る』という善なるもので支えられていたからこその風景だと思います。同じ自爆攻撃でも中東の人たちが掲げるインティファーダなどと比べるともっと悲哀の色を含んだ破滅に感じます。勝つための攻撃というより『滅びたがっている』ような。

kamikazetokkoutai


ここからは勝手な想像ですが、この作品が書かれた昭和10年は日本の傀儡政権満州国が出来上がり、美濃部達吉が国会でクソミソに叩かれ,ナチスドイツが再軍備を宣言した年だそうで、資源の少ない日本がこの流れに巻き込まれれば数学的には間違いなく敗北をするだろうという方向に日本が向かい始めたときでした。
川端康成は能天気に神風を信じ、大東亜共栄圏という夢を語る無邪気な正義感が破滅を支えてることを知ってこの物語をこの時期に書いたのかもしれないと思いました。

またしばらく時間を置いたら読んでみたいと思う素晴らしい作品でした。


PS.この作品の情景はまるで輪郭がぼやけてもしっかりと細部を描き分けている、写実と心象の合間にある東山魁夷の絵のようだと描こうと思っていたら、意外なことに当人達もそう思っていたらしく生前から川端康成と東山魁夷の二人の間には親交があったそうです。もちろん今でも時々そういうコラボの企画展示会が開催されているようです。
スポンサーサイト
テーマ : 読書感想文    ジャンル : 小説・文学

Comments

No title 
川端康成は、わざとらしい美文調が気持ち悪くて、とてもじゃないが読めない。味の素とサッカリンの味がする。

現代の小説家やブンガク好きで、川端康成を評価している人ってあんまりいない印象がある。
普段ブンガク読まない人が「ノーベル賞作家だから」って理由でたまに手に取ることがあるから、今でも本屋に並べてるんじゃない?
おのれは! 
>わざとらしい美文調が気持ち悪くて、
人が「気に入っている!」というのに
お 前 は わ ざ わ ざ !


お前のかぁちゃんデ~ベ~ソ~!
No title 
「『夜の底が白くなった』……なんてうまいこと言いますやろワテ。なあ、誉めて誉めて、誉めてチョーダイっ!」
って感じじゃん。貧乏くせえったらないね。

自主映画でも「アマチュアだけど深夜ドラマのマネが上手にできました。誉めてっ!」っていうのよくあるだろ。
あれと同じだね。

それとさ、東山魁夷って、日本画のラッセンだよ。
大企業が政治家に献金がわりに渡すクソ絵。
気が利いたつもりの小料理屋が便所に複製をかけたり、
水道工事屋が顧客に配るカレンダーの図柄に選んだりするための絵だ。
No title 
なんて心のひん曲がった人なんだ。


よほど川端康成か東山魁夷に「空気椅子1時間やれや。」とか苛められたのか?



といいつつ東山魁夷の絵を探していたら白い馬を点景にしている絵が何点か見つかった。

白い馬って・・・・・・・・。

え?こんな媚びた絵描くの?って萎えた。
しかし若いときに見た印象(唐招提寺の襖絵)は捨てがたく。

>上手にできました。誉めてっ!
もしそれが本当なら、俺は彼を好きになる!
な~んか芸術にストイックにすべてを打ち込む生き方なんて それこそうそ臭くて。

« »

08 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
プロフィール

どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
商業映画ハ嫌イデェス!

FC2カウンター
FC2カウンター
ブログ内検索
ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。