自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

スポンサーサイト

Category: スポンサー広告  
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

すべらない話とすべる話

Category: テレビ  
松本人志(ダウンタウン)と他のお笑い芸人が出演し、すべらない話をひたすら披露していくトーク番組「人志松本のすべらない話」というのがある。深夜のスポットとの頃は2回ぐらいしか見ていなかったが、会社の人間でDVDを買った奴が居たので借りてお笑い大好きのカミさんに見せたらバカ受けした。
人気アップに合わせてゴールデンタイムのスポットに移ってからは欠かさず見せられている(いや、俺も嫌いではないけど)。出演者が千原ジュニア、宮川大輔、ほっしゃん、河本準一(次長課長) 、ケンドーコバヤシなど、この番組をきっかけにして売れ始めた芸人も多い。


                 すべらない話DVD


で、そのパロディがTBSの「リンカーン」というお笑い番組の中の一コーナーとして不定期にオンエアされるてる「すべる話」
メインMCがバナナマンの日村や出川などのバージョンがあってトークゲストにはFUJIWARA・藤本敏史、中川家剛、おぎやはぎ・小木博明、品川庄司・庄司智春・ワッキーなどが出ている。
こちらも基本的には番組側でのテロップなどの装飾フォローが一切無く出演者のネタと話術のみで一人づつトークしていくのだが、この二つを見比べることは非常に面白い。
同じセット同じ設定同じルールであるのに、メンバー(しかも笑わせることが仕事のはずの芸人w)が違うとこうも顕著にタイトルが反映されるものなのか~!

というところで、「すべる話」を見た方が「すべらない話」にするために何が必要かが良く分かる。

すべる理由に「ネタそのものがもうどうしようもつまらない。」という根本的な問題のあるやつを除けば
、気づかされるのはけっこう「すべる話」の方の出演者の「ネタ」そのものは決して悪くはなかったり、けっこう面白いものがあるということが意外に少なくない。ところが話し方一つで物凄くつまらなくなってしまう。

俺はひざを叩いたね!(心の中で)
そこには「芸」という名に変換されてる技術(テクニック)の大切さが具体例を持って明確に物語っていたということだ。
 
この悪い話し方の特徴としては
オチまでの前説部分が長いくせに強弱のアクセントが無く内容に「ええ?どうなるの?」といった、展開を期待させたり、「それはなぜなんだ?なぜなんだ?」という疑問を持たせられたり、「ほう、ほう」など経過時点で小さなオチが断続的に続くなど、話しを一方的に聞かされるだけの相手を惹きつけ続ける仕掛けが無く、端的に言えば「ずっとつまんない」、
ダラダラ型

逆にやたら大声やオーバーアクションなどで前説部分が誇張されている(けど、つまんない)のに、オチが偉く小さくて、話が続くと思っていたら、それがオチだったという
肩透かし型。

などがあり、いずれもテクニックが無いためにネタを殺すという哀れな「すべる話」の典型パターンと思われる。
良いネタをより正確に、より効果的に、より上手く、より面白く、というのはメディアを選ぶときに最も大切な要素だと思うが、メディア特性=それぞれのテクニックだということを端的に示してくれたのがこの二つの対比だった。

この話すことの技術だけを鍛えたプロフェッショナル群が「落語家」という奴だと思う。
古典落語の御題は数あれど、基本的には同じネタをいろんな人が披露して「笑って」もらったり「しんみり」してもらったり。もちろん単純に一から十まで同じものを演じるわけではない。高校の落研レベルだと、どんな面白い話も有名なネタもあっという間に「我慢大会会場」に。クラシック音楽のように同じ譜面でも解釈や編曲によっては随分イメージが変わって聞こえるように、彼らもお笑い話を深い話に仕上げたり、湿度の高いしんみり話で爆笑させたりなど、芸がすごいと同じネタであるにも拘らず観客の感情を思うがままに左右するんだから。おそらく「すべる話」の連中のすべったネタも優れた落語家にかかっては案外良いお話になったりするんじゃないか?とは思える。いや、少なくともすべらない話の連中が喋るのとでは全然結果は変わってくると思う。


                     落語



「技術だけ」と言う考え方はあまり好きではないので人生の中で落語を聴いたことなんかテレビで2~3回ぐらいしかないけど、まぁ、そんな感じじゃないの?

実は日常会話で人と話すときにもこの類例は頻繁に見られる。会社の喫煙室で喋っているときにも学生の頃の「あるあるネタ」だとか「こんな面白いことあった」とかいう経験話のときに、やたら面白い奴と、それまでの盛り上がりを一撃で氷点下に冷やす奴とが居て面白い。もちろん皆芸人ではなくて普通のサラリーマンなので特に話芸を磨く必要は無いのだが、話す、聞く、読む、書くは人間の最も根源的なコミュニケーションツールなのでこの部分がまともでない奴は、仕事もダメというのは非常に顕著に現れる。
 脳の回路のこの部分は他人の指示を正確に聞き取る、理解する、作業する、経過を報告する、など他の動物に比べて恐るべき高度で複雑な社会体制を作り、その中で各自が分業・連携することで種を発展維持している人間にとってはあまりないがしろには出来ない能力の一つ(俺の主観では「視覚」と同じぐらい重要度が高いと思っている)だと思う。

 で、せっかく「自主映画まみれ」ってタイトルのブログだから、このネタ引っ張り込むけど。
自主映画の中のアマチュア作品(厳密な定義は更に文字数食うからあえてやらない♪)のなかで、この話芸がかなり稚拙なためにせっかくの良いお話がグズグズになってしまっている例がしばしば見られる。

で、監督本人と喋ってみてもやはり話し方にも同じ癖が出てたり。
これがけっこう面白い。
自主映画というのは大半は個人企画の個人製作だから当然、作者個人の特性・特徴がモロに出る。
それが見方を変えれば作家性の吐露ということになるのだけど、個人の無責任でわがままの塊のようなものだから、「良いものばっかり溢れてくるわけでは無い」のだ。


下手な自主映画を見るときの俺のひそやかな楽しみは作品を見て作者を想像すること。
そのゲームがあるから俺ってつまらない作品でも最後まで見れるんだよなぁ。
スポンサーサイト
テーマ : TV番組    ジャンル : テレビ・ラジオ

Comments

« »

11 2017
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
プロフィール

どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
商業映画ハ嫌イデェス!

FC2カウンター
FC2カウンター
ブログ内検索
ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。