俺がアマチュアの映画が好きな理由と募集記事
学祭での映画研究部めぐり(荒らし!www)のまず最初のターゲットは決まった。
明治大学 学園祭 駿河台映画製作研究部 映画上演会

昨年の様子(もうちょっとシボリックな写真無いかなぁ)
なんといってもステキでキャッチーなコピーに俺が釣られた。
学生映画だからとナメてかかるなかれ。
二年連続学園祭賞授賞のこの映画研究会、
笑いや感動という枠には収まらない何かがきっとあなたにも伝わるはず。
んとに!いつの時代になっても映画作る奴ってのは
鼻息荒い!荒い!
ちょうど今年は久しぶりに大学祭めぐりでもしようとたくらんでた時にこの告知!
かつては自分もああだったと思うと木っ端すかしいやら可愛らしいやら。
感情が漣立って思わずちょっかいを出してしまった。
ちょっかい出してしまった以上、絶対行く!

学生映画だからとナメてかかることは無い。
むしろ『学生のクセにとんでもなく面白い作品を見てしまったことが何回もある俺は いつまたそんなものに出くわしてしまうかビクビク』している。
ただ、告知用の作品写真の暗さとかバリエーションの狭さとかサンプル動画のやり切ってない感が俺に損な先入観を与えてしまっているけど(笑)。
急遽同行者募集!
※居なくても勝手に行くけど。
明治大学 学園祭 駿河台映画製作研究部 映画上演会

昨年の様子(もうちょっとシボリックな写真無いかなぁ)
なんといってもステキでキャッチーなコピーに俺が釣られた。
学生映画だからとナメてかかるなかれ。
二年連続学園祭賞授賞のこの映画研究会、
笑いや感動という枠には収まらない何かがきっとあなたにも伝わるはず。
んとに!いつの時代になっても映画作る奴ってのは
鼻息荒い!荒い!
ちょうど今年は久しぶりに大学祭めぐりでもしようとたくらんでた時にこの告知!
かつては自分もああだったと思うと木っ端すかしいやら可愛らしいやら。
感情が漣立って思わずちょっかいを出してしまった。
ちょっかい出してしまった以上、絶対行く!

学生映画だからとナメてかかることは無い。
むしろ『学生のクセにとんでもなく面白い作品を見てしまったことが何回もある俺は いつまたそんなものに出くわしてしまうかビクビク』している。
ただ、告知用の作品写真の暗さとかバリエーションの狭さとかサンプル動画のやり切ってない感が俺に損な先入観を与えてしまっているけど(笑)。
急遽同行者募集!
※居なくても勝手に行くけど。
自主映画といわれるものを今まで山ほど見てきたけど、コンテストレベルの人は除いて目標がプロであろうと遊びであろうと自主興業どまりの『ダメな作品』のダメになってる理由の中で一番大きいのは
メディアの使い方が未熟なことからきている場合が多い。
人間は言葉を習得して以降、今度は情報や意思を伝達を声だけでなくその場に居ない人、あるいは未来の人、遥か彼方の人にも伝えようとして『記録する』ことを発明した。
それが文字であり、絵であり、やがて写真やレコードやCDやテレビやその他もろもろの道具を生み出すことになる。
そのことで我々人類はたくさんの知識や知恵や感動を遥かな過去から遥かな未来まで。また北の果てから南の果てまの隅々まで共有することが可能になった。
しかし、人の頭の中のイメージや意思は実際明確な形をとっているわけでもなく言葉ですら、自分の感情を正確に表現してるかどうか心もとないわけで言い間違いや言い損ない聞き間違いの類で感情がささくれ立ったり仕事が滞ったりすることは誰の周りにでも山ほど起きていることだろう。
メディアとは元の元素を「変形」することが宿命なのだ。
言いたいことをメディアに載せるためには正しくかつ効果的に変形(または省略削除)しないと伝わらないのだ。

●もっとも正しい自主映画撮影風景(ぷ♪ 撮影者に無断でUP)
普通はそれぞれのメディアにいそしんでる人はいつの間にか自然にその変形具合を身につけているため大きな破綻は無いが、写真や映像のように機械(マシン)が介在したものは多くの場合「(スイッチ・シャッターを)押すだけで撮れる」ものだから往々にしてその変形幅を分からないまま作ってる人が多い。
先に言った「メディアの使い方が未熟なこと」とはアマチュア自主映画で言えば「暗い・聞こえない」なんていうメディアですらないものから始まって
「登場人物の識別が弱い(誰がだれか分からない)」「ストーリーが右往左往」「解釈が同時に二つ以上成り立つ表現」「意味の無いものを撮って必要なものを撮ってない」「イマジナリーラインの混乱」という映像特有なもの。
そして「分かる人にしか分からない身内ネタ」「感情移入を損ねる表現方法の極端なハードルの引き下げ」などの意思疎通がまだ成立していない対象(観客)へのルーズさと甘え。
などはいずれも「メディアの持つ変形」を見誤ったか完全に抜け落ちたかによるミスの代表例だろう。
多くのメディアの中で最も歴史が浅いものの一つである「映像」について、実はまだ我々(人類www)は使いこなせるようにはまるでなっていない。
一見、8mmからビデオになり編集がPCで出来るようになってやっと「映像」もプロでも何でもない普通の人が自分の意思や感情や感動を不特定多数の人に伝える手段(システム)を手にしたようには見えるけど、それはあくまで専用の機械・道具を手にしただけで、野球で言えばバットとグローブを手にしただけに過ぎない。
キャッチボールをやって素振りをやってルールを覚えて初めて野球ができるし上手くなることもできる。
今年の学際映画研究部巡りのテーマは
普通の人にとって映像メディアはどれほど使いこなされているのか?または他のどんな新しい使われ方の発見があるのか?
なのかな〜?
なんてことを思いついたけど、思いついたと思ったのは錯覚で
実はずっと前から俺はこういう視点で下手自主映画を見ていたと分かった。
おぼろげな輪郭がやっと明瞭に。
そういうわけで
「どんなつまらない作品も最後まで見れる!」という俺の特技は、言ってみれば野鳥観察や昆虫採集みたいな地味なフィールドワークのようなものだからだったんだ。
メディアの使い方が未熟なことからきている場合が多い。
人間は言葉を習得して以降、今度は情報や意思を伝達を声だけでなくその場に居ない人、あるいは未来の人、遥か彼方の人にも伝えようとして『記録する』ことを発明した。
それが文字であり、絵であり、やがて写真やレコードやCDやテレビやその他もろもろの道具を生み出すことになる。
そのことで我々人類はたくさんの知識や知恵や感動を遥かな過去から遥かな未来まで。また北の果てから南の果てまの隅々まで共有することが可能になった。
しかし、人の頭の中のイメージや意思は実際明確な形をとっているわけでもなく言葉ですら、自分の感情を正確に表現してるかどうか心もとないわけで言い間違いや言い損ない聞き間違いの類で感情がささくれ立ったり仕事が滞ったりすることは誰の周りにでも山ほど起きていることだろう。
メディアとは元の元素を「変形」することが宿命なのだ。
言いたいことをメディアに載せるためには正しくかつ効果的に変形(または省略削除)しないと伝わらないのだ。

●もっとも正しい自主映画撮影風景(ぷ♪ 撮影者に無断でUP)
普通はそれぞれのメディアにいそしんでる人はいつの間にか自然にその変形具合を身につけているため大きな破綻は無いが、写真や映像のように機械(マシン)が介在したものは多くの場合「(スイッチ・シャッターを)押すだけで撮れる」ものだから往々にしてその変形幅を分からないまま作ってる人が多い。
先に言った「メディアの使い方が未熟なこと」とはアマチュア自主映画で言えば「暗い・聞こえない」なんていうメディアですらないものから始まって
「登場人物の識別が弱い(誰がだれか分からない)」「ストーリーが右往左往」「解釈が同時に二つ以上成り立つ表現」「意味の無いものを撮って必要なものを撮ってない」「イマジナリーラインの混乱」という映像特有なもの。
そして「分かる人にしか分からない身内ネタ」「感情移入を損ねる表現方法の極端なハードルの引き下げ」などの意思疎通がまだ成立していない対象(観客)へのルーズさと甘え。
などはいずれも「メディアの持つ変形」を見誤ったか完全に抜け落ちたかによるミスの代表例だろう。
多くのメディアの中で最も歴史が浅いものの一つである「映像」について、実はまだ我々(人類www)は使いこなせるようにはまるでなっていない。
一見、8mmからビデオになり編集がPCで出来るようになってやっと「映像」もプロでも何でもない普通の人が自分の意思や感情や感動を不特定多数の人に伝える手段(システム)を手にしたようには見えるけど、それはあくまで専用の機械・道具を手にしただけで、野球で言えばバットとグローブを手にしただけに過ぎない。
キャッチボールをやって素振りをやってルールを覚えて初めて野球ができるし上手くなることもできる。
今年の学際映画研究部巡りのテーマは
普通の人にとって映像メディアはどれほど使いこなされているのか?または他のどんな新しい使われ方の発見があるのか?
なのかな〜?
なんてことを思いついたけど、思いついたと思ったのは錯覚で
実はずっと前から俺はこういう視点で下手自主映画を見ていたと分かった。
おぼろげな輪郭がやっと明瞭に。
そういうわけで
「どんなつまらない作品も最後まで見れる!」という俺の特技は、言ってみれば野鳥観察や昆虫採集みたいな地味なフィールドワークのようなものだからだったんだ。
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