自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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行って来ました。予告どおり明治大学の学園祭に。(前編)

Category: 上映会・作品感想  
久しぶりに膨大な感想書きました。
「久しぶり」なことは良く頭に刻んでおいてください。
つまりこの程度の文字量なんて俺にとって初めてでもなんでもないということです!
驚け!
わはははは。

何が偉いんだか?

前にも書いたようにmixiの告知でちょっかい出したことをキッカケに出かけた訳だけど、
時間が分からなかったので前の日にタイムスケジュールのことを尋ねはしたが、俺はタイトルごとの上映開始時間(または上映尺数)のつもりだったのだけど 
まさか時間:11時~19時 とだけ教えてもらったことに爆笑。
なんて大雑把な!?
他の全催しがその時間じゃないのか?

まぁそんなに長編は無いだろうし、これまでの経験から一日で同じプログラムを2回転から3回転ぐらいのサイクルだろうと踏んで12時半ごろ到着した。
井の頭線の明大前は予想を超える混雑ぶりであたりに立ち込める喧騒と若い人間の発する香りに酔いそうになる。どいつもこいつもやたら元気だ!

去年の写真だけど今年もこんな感じ
去年の写真だけど今年もこんな感じ


大学という施設の遠慮の無いダダっ広さに土地勘の無い自分が会場にたどり着けるかどうか不安だったが幸い校門のすぐ正面の校舎ということもあり 迷わずに着いた。
で、髭をそってこなかったことを悔やんだ。
ああ、誰も俺に声をかけないでくれ!と元気な呼び声に導かれ上映途中の暗い会場に入った。
ダンボールと黒いカーテンで遮光された窓の外から元気なチアリーディングの声が聞こえてくる。
まさに祭りなんだなぁ~と。

以下作品の感想を記憶による見た順番に・・・・・。
いつものように敬称は略した上に、遠慮も省略、お世辞も愛想も省略。
 
離さない(35分) 佐々木麻央未
これも非常に興味深い作品だった。
主人公のOLの女の子は近所に住む(名前失念)紅茶を入れるのが上手くて釣りの好きな若者と良くお茶を飲むひと時を送っていた。そんなある日釣りに行ったっきり2ヶ月音信不通になったので訪れてみると、実は釣りに行って波間に浮いていた人魚を捕まえて持ってきてしまったんだという。体長30cm(推定)ぐらいの人魚は風呂場の中に泳がしておくとなぜかそのそばから離れられなくなる。あとは仕事も外出も出来なくなりひたすら人魚を眺めるだけの廃人生活になってしまう。危険を感じた主人公の女の子はそれを自分の風呂場に移し変えようと決める。数日後、人魚を持ち込んだ若者はそのまま主人公の風呂場に入り浸ってしまうが突然悲鳴をあげて出て行った。翌日から主人公は次第に廃人の生活になりつつあった。
「人魚を返しに行く。」若者が数日後乗り込んできた。無理やり人魚をクーラーボックスに入れて海に行く二人。しかし波打ち際まで来ておきながらなかなか人魚を放せないで居ると、人魚はつぶやいた「離さない。」。
その不気味さにより人魚のリリースに成功する二人。やがて日常に戻る。「僕たちは大切なものを持ち続ける能力が無いんだよ。」

というお話。
良くまとまってるでしょう?
こういうフィクションを自分の言葉を使って描くことに手馴れた感じがするので、高校生か中学生くらいからこういうものを描くことに慣れてるんではないかと思うが?
劇中重要なモチーフとなっている人魚についての描写は無い。うまく人魚目線にしたり、背中に隠れたり、箱の中にいたりして一切姿を現さない。オーソドックスな手法なためにやや記号化されてる気配が無いわけでもない違和感が少ない。そのことがアマチュアでありながら無理やりな設定をしらけさせること無く成り立たせている。人魚を作る技術がなかったことも重要な要因かもしれないが、結果成功は成功。
画面作りは特にこだわりは無く「映画」というよりは「テレビ」的ではあるが、ちゃんと撮るところは撮っていて好感。ただ音声が(これは他の何本かの作品にもいえるけど)ちゃんと取れていないので随所に大事なセリフが聞き取れないことが多く、その辺だけがフラストレーションを溜めることになる。
がこの作品の良い所は人魚に関する顛末ではなくて冒頭や挿入で使われるスチルとモノローグで綴る主人公の日常と感情のエピソードのパート。どうと言うわけでもない日常にも心を動かし「つまらない」とか「くだらない」なんてものまで機敏に感じ動いている。
この話はあらすじの紹介でも書いたように
「僕たちは大切なものを持ち続ける能力が無いんだよ。」という彼らの悲鳴のような残酷なセリフで終わる。
異なるものに惹かれて日常が壊れていくさまを「大事なもの」と捉えているのか?
「廃人になっても良い!」というほど魅力的な=大事なものと捕らえているのかは分からない。悪いものと分かっていても魅入ってしまうほどの「大事なもの」を表現しようとしたのか、あるいは良い悪いの分別がまだ付かない明治大学の等身大の彼らが図らずもこぼれてしまったものか。
その辺は分からない。ただ破滅を選択しなかった彼らの作劇に普通の人としての健全さと「作家ではないなぁ。」という彼らに持ってはいけない感情が俺の中でせめぎあった。


めーちゃんとこーちゃんの甘い野菜(10分) 飯野理美
画面のあちこちに原色を配して絵本のような効果と楽しさを作ろうとしているところはいかにも女の子らしくて父親のような気分になる(笑)。旅行の記念写真と違って「画面の隅々まで作為と意図を込めて作り上げてもOK」というのが映画の大きな一面だけど、この作品の場合、さまざなアイテムを利用して原色を配置して画面を作っているところが楽しい。
のっけのオープニングのイラストからその意図が明確に表示されていて分かりやすい(イラスト自体はやや記号化されすぎて下手だけど・・・意図は十分伝わる)。ただ、登場人物の衣裳や小物まで気を使っていながら画面の色つくりを編集ソフトのカラーバランスを壊すことで作ってしまうのは手法としては避けた方が良かった。
機械的過ぎるのとやはり見え方が「カラーバランスが狂っているだけ」にも見えるから。
君らの時代は見かけないだろうけど昔ビデオが出始めた頃の自主映画はアナログダビングを繰り返してレインボーノイズや紫色の顔色した主人公とかの映像が当たり前だったりしたからね。
映画の理解の仕方が俺のときより随分自由になってるなぁ。
たぶん8mmなんかよりずっと今のビデオやハイビジョンになってできることのキャパシティとポテンシャルが格段に上がっているからだろう。
お話は幸せに一緒に暮らすバカップル(w)の女の子の方が実は極端なベジタリアンの為に、彼は嫌いな野菜ばかりを食べさせられていながらそれが言い出せずに我慢を重ねている状況。ついにぶちきれて家を飛び出すが彼の告白に反省した彼女はこれからは料理も工夫することを約束してハッピーエンド。

悲しいことがあると泣きながら生野菜をかじる彼女と言うアイデアは面白い(料理の時以外はどうするんだろう?)。その時々の材料次第でリアクションが変わるんじゃないか?韮とかニンニク、たまねぎなんかはギャグになるかも。

お話の都合上のことかもしれないが
彼氏の方の物事(困難)を解決する力の弱さにちょっとガッカリ。なぜ事情を説明するより前に家を出て行くほうを選択するのか?初めから話し合えば解決することだったのに?という思考法を実生活では持っておくべきだとは思うけど・・・・まぁ作中のキャラクターは「もうすぐ中学生」見たいな脚色していたからそれほど目くじら立てることもあるまいが。

RACHIO(14分) 高橋郁弥
作品としては見るべきものは無い。
ただなんというか全編通してどこもかしこもガキっぽい発想と構成とネタだけで出来上がっているところにある種の感激がある。
試しにせっかくの映像演出を一切省いて出来事だけを文字で羅列すると
「若者がにこやかに散歩している→通りかかったアパートの中ではもう一人の若者が寝ていて目覚まし時計に起こされる→スヌーズを繰り返す目覚まし時計に腹を立てて窓の外に投げつける。→若者の頭に時計が当たる。若者激怒。→アパートの中ではお気に入りの曲で目がパッチリ覚めた若者が洗面所で歯を磨きながら乳首も磨く→(ちょっとうろ覚え)うがいの水を窓から吐き出すとそれがまた若者にかかる→頭に来た若者アパートの部屋に怒鳴りこみにいく→目覚めのバナナをフェ○チオのように食べるアパートの若者→その部屋の呼び出しベルを鳴らしまくる激怒の若者→廊下を通りかかる同じアパートのオカマ→一度通り過ぎるオカマ。しかしいつの間にか背後から迫ってくる→追っ払う→部屋に怒鳴り込む→アパートの若者 後ずさっているとバナナの皮を踏んで倒れる→気を失っている男の顔にまたがってウンコする→終わり。

書いてみると思ったより長くなったが、粗筋だけを見て他の人はなんと思うだろうか?
俺の感想はびっくりするくらい子供のまんま!
うんこ~!ちんこ~と言うだけでギャハギャハと思いっきり笑えた時代のまま大学生になっている人間が居ることにびっくり。
他の引き出しはあるのかな?と言うことを心配したくなるぐらいの原初的姿の作品だった。

LINK(33分) 木村竜也
この上映会で一番の俺のお気に入り。
ノンポリで流されるままに ただ生きているというだけの男。
部屋で目が覚めると元カノが横に寝ていて、部屋の入り口には今の彼女が立っていた。
という場面から始まる出来事が何も起こらないモノローグと会話が主体の物語。
もう一方の場面は、突然、派遣の契約を打ち切られ漫喫で寝泊りしなくてはならなくなったヒネた若者。
元カノはそれをキッカケによりを戻そうとする。また泡くって出て行った今カノは擬似ホームレスの若者になぜか一方的に攻められ、噛み合わない会話を繰り返す。そんな会話の中で彼らは自分の気持ちに気付いていく・・・・
といったところか。

セリフが多すぎるドラマなので、鑑賞後から大分時間が経った今細かい描写は覚えてはいないが、はっきりと分かったことは「誰かと繋がっていたい」と言う彼らの悲鳴のような渇望感だった。
感情の表皮がまだできる前の剥き出しの真皮のまま社会に出てありとあらゆる刺激をまともに受けなければいけない。そのためありとあらゆることに過剰に反応してしまう時期、それが青春時代と俺は定義している。
けど、ただむやみやたらの脊髄反射だから思惑と結果が一致するわけでもなく、それこそ子猫に追っかけられて慌てて逃げて自分で川に落ちて溺れるようなものだ。
何をするにしても何かを必ず壊してしまうのも青春時代の定義としてあるかもしれない。
そんななかで彼らが最も恐れるのは「人同士のつながりが壊れる」ことのようだ。
その恐れ具合と来たら 泳げない子供がプールの淵からなかなか手が離せないような 少しでも手が離れたらみっともないくらい水しぶきを上げて慌てて淵を掴もうとするような、そんな様が描かれている。
元彼女が出て行ったその瞬間からオロオロなんかしてるけど、大人になってみな。カミサンが出て行っても騒ぎになるのに1週間ぐらいかかかるから。
ドラマは主人公が選択肢を吟味した上で大事な方の繋がりを得る為に自らもう一方のつながりを壊す勇気を持ったことで団円を迎える。
エンターテイメントとしては全編出来事らしいことは無く、言葉だけで説明してしまうことは「失点」というセオリーがあるが、彼らはフィクションの姿を借りて自らの弱みを露呈しているのだ。綺麗にデザインしたファッションショーをやるのが商業映画だとしたらきっとこの作品はスッピンで素っ裸の自分を見せようとしたもののように思えた。だからテクニックのあまりの使わなさをあまり責める気にはならないし、むしろ素直にしゃべってくれたことに感謝する気持ちすら感じる。

さて、彼らの人同士の繋がりを先にプールの淵を掴む子供に例えたが、倍ほど生きている俺の結論は
「手を離しても底は浅いぞ。手を離しても溺れない。誰かの手をつながなくても歩いていける。君らはまだプールの深さに気付かないだけだから。」
と言ってやるのは親切なのかどうか。けけけけ。

スペースが膨大過ぎて座りが悪いので残りと総評は後編に。
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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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