自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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すっかり冷めちゃったけど TAMA NEW WAVEのレビュー(前編)

Category: 上映会・作品感想  
もう一ヶ月近く過ぎてしまい熱も何も冷め切ったTAMA映画祭の中のプログラムの中の一つ、自主映画のコンペテション
TAMA NEW WAVEのレビューをば。

イマイチすっきりしない天気の中、今年も聖蹟桜ヶ丘に行った。
こちらのイベントも審査員してないときから都合4~5回ぐらい行ってるけど一度もスカッ晴れだった記憶が無いなぁ。

TAMA NEW WAVEキャッチ


去年に引き続き今年も審査員として参加。
相変わらず今年も審査員不足に悩まされているようだ。
まぁ朝から晩まで映画見続けなければいけないっていうんだからそう気楽に集まるわけも無いなぁ。
ノーギャラで朝から晩まで拘束してくれる人数50人という数字は思った以上に大変な数字なのか。
トイレ行ってる間に開場したためミーティングは欠席状態となってしまった為に人数が分からない。
何とか集まったのかな?

このコンペの応募条件は以下の通り(応募要綱より抜粋)
◎劇場公開作品が3本以下の監督作品であること。
◎2007年8月以降の日本国内で製作完成した30分以上100分以下の作品であること。
◎2009年11月末日時点で劇場未公開の予定で、ビデオが市販されていないこと。
◎プロ・アマ問わず


「劇場公開」とみなされる基準はどうだ?とか「プロ」の定義はどうなってるのか?とか意地悪な疑問が湧くが、曲がりなりにもプロの人はいまさら出しても仕方ないし、仮に出してもし負けたらそれこそ致命傷になるので事実上アマチュアのコンテストではあるけど、もう個人が監督もカメラも編集もやる家内制手工業体制作品は見られなくなった。分業制の中で組織を機能的に動かしながら維持しつつ個人の作家性を出すことが出来て、なおかつそれが他者を感動させる・・・なんてそんなこと人間に出来るんですか?本当に映画ってハードルの高いことw。

今年のノミネートは1時間以下の作品が半分以上(っても6本中の4本ってことだけど)ある為に去年の5本から6本に増えていた。
長い短いは作品の良し悪しとは関係ないが、見る側としてはたくさんの本数が見れて楽しくまた飽きない。
飽きないと言えば今年はバリエーションにも偏りが無くなっていた。昨年みたいに何かのリレーシナリオでもしているかのようにネタも雰囲気もかぶりまくったことと比べると選ぶ人が変わったのか(人が変わったというよりも選び方が変わった?)まるで違うコンテストのようだった。

■DATA
●題名:『10th TAMA NEW WAVE』
●日程:2009年11月22日(日)
●会場:ヴィータホール http://www.city.tama.lg.jp/shisetsu/004190.html
    京王線 /聖蹟桜ヶ丘駅下車 徒歩1分
●時間:開場10時00分(一般審査員) / 開演10時30分 
●入場料:審査員は無料
●上映作品
 ◎mon amour,mon amour 松上元太 (2008年/HDCAM/49分)
 ◎INTERSPACE 遠竹真寛 (2008年/ビデオ/39分)
 ◎ヘビと映子と佐藤のこと 新井哲(2009年/miniDV/33分)
 ◎東京 鈴木健 (2008年/HD CAM/60分)
 ◎最低 今泉力哉 (2009年/DV/38分)
 ◎ロックアウト 高橋康進(2008年/HDV/1時間22分)


では以下ネタバレ・オチバレ。個人感情むき出し、嘘冗談3割混入のレビュー。
 
■mon amour,mon amour 監督・脚本 松上元太(2008年/HDCAM/49分)
 結婚を控えた1組の男女、カナと真一。順調に暮らしている2人のところへ突然、カナの旧友であるミドリがやってくる。ミドリは海外赴任からの一時帰国中で、しばらくの間日本にいるという。連絡を受けたカナは、ミドリを家に招待する。そこから3人での生活が始まる。

mon amour,mon amour


初めタイトルの読み方が分からなかったが、「モナムール・モナムール」と読むと知ってそれほど知らない言葉で無いことにほっとした。
内容は上の粗筋を導入として、その後カナとミドリが仲良すぎて一向に出て行ってくれなく、主人公・真一の生活パターンが自分の家でありながら他人に合わせる、または他人の目を気にしてよそ行きの自分のまま自宅に居なければいけない苦痛の中に日々を送ることになっていき、口に出せないその不満を溜め込んでいるうちに崩壊していく・・・・という過程をけっこう丁寧に描いていく。なので初めに気になったタイトルは実は作者のミスリードでその辺の皮肉の利かせ具合は・・・・・・・け、若造が!。という気がした(笑)。
実は俺自身がかなりテリトリー意識の強い人間なので、この作品のような設定は本当につらい状況。
つまり自分の場所、自分の持ち物、自分の考え、とそれ以外のものとの境界が実にバッサリ・キッパリ分けていてその境界を守ること犯さないことにムキになる性格をしている。だからこそ俺にとって「自宅」というのは唯一油断して弛緩できる場所なので、赤の他人が遊びに来るのは良いけど連泊されるのはとてつもない苦痛なのだ。家では思いっきり音を立てて屁をこきたい!風呂上りはパンツ一丁で冷蔵庫まで歩きたい!痒いときには金玉掻きたい!「ボクちゃんお腹空いたでチュ~。」とかいった赤ちゃん言葉でしゃべりたい!(←最後だけ嘘)
そんなところを見られたくも知られたくも無いのだ!単に一つ屋根の下に他人が居るところでセックスできないことだけが苦痛になってると言うわけではないのだ(いや、大事だけどね)。日常のすべての言動・動作が外行きにし続けなければいけない苦痛。
ましてやその赤の他人が女性だった場合なんぞは悪魔以外の何者でもない。

この物語は言ってみれば「悲劇」なんだが、その不幸の原因が他人への親切(居候させてあげる)だったことで明確な悪者が存在しないため、出来事が起こらず、また怒りや苦痛の持って行き場が無いことによる閉塞感を味わう面白さがあるのだけど、さて?
この作品の場合、他人が家庭に入り込み居座る時に生じる苦痛や圧迫感ということを対象としていることはハッキリと分かるのだけど、その感覚が強くて他人の家で泊まったり出来ないほどの敏感な俺にとっては「ああ、そうそう!そうやねん!」といえるものは感じなかった。いや劇中確かにそういう表現はあるのだけどどうも分かって無い人の説明を聞いてるような遠まわし感が有って感情移入できない。
実感の無いもの同士だったら分かり合えるんじゃないか?というものになっている。
戦争の悲惨さを知らないものが作った反戦映画に戦争を知らない人が感動しているような歯がゆい食い違い。
「違う違う、そうや無いねん!」
それをこの作品に感じてしまった。

で、少し時間がたってからこの作品のことを思い出すと
深刻な人間関係の間に生じた腐食により真一とカナの関係が崩壊したことを匂わせるのだけどラストシーンがエレベーターの中で真一と居候だったミドリが最後の一瞬で抱きつく「絵」が有った。
三角関係がその崩壊の物語のベースにあったことをオチに持ってきた。

え?
じゃなにかい?横恋慕した女が一人悪人で、それが家庭を崩壊させたってストーリーだったのか?
それって全部台無しにしていないか?
なにかオチとして、落とすためだけに無理やり入れたエピソードと言う気がする。
裏をかかれたというよりは「裏切られた」感じ。


追記:ふと気になって調べてみた
mon amour=我が愛しき人

記憶とだいたい合ってた。


■INTERSPACE 監督・脚本=遠竹真寛 (2008年/ビデオ/39分)
父親の命令で法律家に進む為に宇宙飛行士をあきらめていた主人公は予備校での成績がさっぱりなため、法律家さえ危険な状況になってきたことで凹んでいた。そんなある日、同じ予備校の友人が突然成績TOPに躍り出た。
あまりの唐突さにその秘密を聞くと、不思議なインターネット予備校のことを紹介された。


INTERSPACE


要は頭の中に強制的に知識をダウンロードさせるシステムが有って、それで楽々成績UPというおとぎ話。
ここまで来て、なんとなく「世にも奇妙な物語」を想像した人。説明が省けてラクで正解です。

というより映像ドラマの世界でショートSF(科学だけでなくファンタジー系まで含んで)モノは今では「世にも奇妙な物語風」と言えばたいていどんな感じか伝えられるようになったことに逆に「世に奇妙」の凄さを知る。
そういうものは、藤子不二雄や怪奇大作戦など昔から有ったにも拘らず、今ではこの分野はすべて「世に奇妙」というジャンルになってしまった。コンペ作品のことよりむしろそっちの方が先に頭に浮かんでしまったよ。

で、大まかな筋はあらゆる科目の知識を片っ端からダウンロードするようになると今度は脳の容量が足りなくなってくるので、主人公は一般的な知識を脳からPCに移し代えて出来た空き容量のところへ詰め込む必要がでてくる。ただしどんな知識が移されるかはやってみないと分からない。で、どうしても良い成績を獲りたかった主人公は通常の知識がなくなって「アホ」になるというオチ。
劇中で模試で全国一位になることを宣言した主人公は意を決して自分の脳の「100%」を削除するクリックをするが、そもそも物語の途中で、「削除できる知識は選べないリスクがある」と言う設定を説明していたから100%ってそれまでの勉強の知識も吹っ飛ぶと言うわけだからここは作者の「設定ミス」だと思う。
発想的にはドラえもんレベルの「子供らしい思いつき」からは抜け出せず、単に暗記パンが今風(かつそれなりの説得力)のパソコンに置き換わっただけで目新しくない。
ランダムに記憶や知識が失われるのは例えばアルツハイマー型の認知症と似たようなものだが、あいにくその方向への深刻さや細かさやリアルさはまったく無く初めは友人を忘れるぐらいしか表現がなくやはり作者の上ではそれなりの取捨選択がされたようで可笑しかった。
さて、この物語、アホになった息子とそれまで進路のことで対立していた父親の和解のようなものが描かれて終わっているのだが・・・・・。何がどう和解なのかズレている。
「本当は宇宙飛行士になりたかったのに法律家を強制され、それから逃れる為(劇中 全国1位になったら宇宙飛行士を目指すことを約束するシーンがある)に無理に勉強した挙句バカになる」ことで一体父親は何を反省するのだろうか?
「親が子供に自分の希望を押し付けてはいけない。」というセオリーはもう20年前に終わった。
そのことが干渉し合わない親子関係を生み出し、野放図でデタラメな子供と無責任で無感動で自信の無い親を量産し始めた。昔は正しかった解答が時代や社会が変わることで次の答えを探し始めなければならない時に「今頃になって何を言ってるの?」的なテーマでは物語が死んでしまう。
というよりこの作品に関しては設定とドラマは乖離している。勉強が嫌いでスポーツ大好きな主人公と勉強第一の親とか言うぐらい対立していれば親子の対立軸の中におくことが出来るけど、この話では勉強するという方向軸は一緒だからストーリーの重要なアイテムである「勉強」が対立構造になっていない。

あと俺的に軽くイラっ(笑え)と来たのが上映前の作者紹介の際に「(監督の)遠竹君が持っている異常な世界を実現化する為に僕らは頑張った云々」のようなことをいっていたが、この作品ではまったく異常でも不思議でも特殊でもない誰もがごくごく普通に思う要望と思いつきのレベルだった。残念ながらこの作品で描かれたのは誰もが「ああ、こうだったらいいなぁ」というドラえもん的普遍性の高いもので、いってみれば彼らがやっていると思い込んでいるモノとはまったく真逆のモノだった。
異常とか不思議とかいうのは・・・・・・俺の中では高岡晃太郎とかなにわ天閣が知ってる中では異常・不思議の最右翼。


■ヘビと映子と佐藤のこと 監督・脚本=新井哲(2009年/miniDV/33分)
コンテストがどうのとか将来性がどうのとか技術がどうのとかどうでも良くこの作品がお気に入り。
ゲスト審査員の二人がともに解釈できずに困っていたのが可笑しかった。

顔面に蛇のウロコのような模様(痣)がくっきりとついていることで「へび」と呼ばれ、それがコンプレックスになっている主人公と、とそれを興味本位で眺めている女の友情の話。

ヘビと映子と佐藤のこと


昭和の半ば「友情」と言う言葉の意味を梶原一騎が「支えあいながら困難に立ち向かい、持ってる力以上のものを出せる精神論」「自己を犠牲にして(多くの場合脇役の役目だったけどw)でも力になってやれる間柄」という定義は今の日本のようにほぼ完璧な平和になった今、形を崩しつつある。今は普通の人は誰とも支えあわなくても生きていくことが可能なのだ。それでも人と人は繋がりあおうとする。その本能だけに従えば「私なんでこんな奴と付き合ってるのだろう?」なんて出来事は当然起こりえる。
そんな「友情」の残滓が染み出した模様のような作品でした。
今はまだそういう「理屈や理解で成り立っていない惰性だけの友情」は「笑いの中」でしか語れないのはそれが「変なこと」という解釈が主流だからかな?それとも俺が映画を見ないから他にあるのを知らないだけか?
で、ドラマの中では自称・親友との関係はコンプレックスを刺激されることばかり。いつも顔の痣を種に食ったり遊んだり。彼氏が出来ない主人公の為に持ち込んだお見合い写真も心根の裏には「笑いのネタになるから」という悪意w!
 メインはなんといっても自称・親友が面白がって今度は逆に結婚情報センターに登録する為に主人公のへびの写真を撮ろうとするところ。
初めは「痣が写らないように」と頼んでいた主人公も段々のりに乗って大胆かつ大袈裟になっていき次第に「生き生きとした表情の写真」がバンバンと撮られていく。




痣ごと。

ここで主人公は「それが自分である」ことを納得する。
良かった。
写真でそんなもの隠してもお見合いで直に会えばバレバレだしそこで断られるのなら最初からハンデは出しておいた方が良いのだ。知らないところで断られた方が傷つかない。
(こういうとき断る方は「痣」が理由であってもそんなことは自分が悪者になるので絶対口にしないから、断られた方は偽の理由に振り回されることになる!)
話の流れを全部放り出す見事な落としのオチはさて置いて、最初のお見合いデートで会ったのは彼女のコンプレックスの原因を作った高校時代の幼馴染。
女性にとって大きなハンデである「痣」をこの物語は「幼馴染であり痣を作った」男とよりを戻すことで解決した。あれ?それじゃ乗り越えたことにならんじゃん。贖罪の延長線上に恋愛を置いて良いのか?
もちろん、お見合いすることで外の世界に思い切って出ることが出来たことし、それが次の物事を動かし、コンプレックスの元に出会うことも出来たのだから大きな進歩であることは確かだけど・・・・・。ちょっと小さい解決だなぁ・・・・。

と思ったけど
最後の真剣白羽取り(見て無い人にわからないだろうけど、なおさら何のことかの説明は省く)は、そんな閉じた輪の中での解決は本当の解決で無いことを知った主人公の戦う姿勢の現われか?だとすればものすごく俺の中で勇気付けられる一作だったんだけど?

TAMA NEW WAVEコンペティション では毎回ベスト男優賞ベスト女優賞が観客投票で選ばれるんだけど、投票用紙には最初から各作品から男女一名づつがすでに選ばれていてこの作品からは主演のヘビ女の小枝さんが選ばれていた。が、俺は自称親友の加藤めぐみさんの悪女っぷりがとてもお気に入りで彼女の名前が無いことにへそを曲げてこの部門の投票をボイコットした。それが今年も最優秀審査員に選ばれなかった理由だと思う。










続きはまた後日・・・・・・。

いやもうあとちょっとなんだよ。
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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

Comments

No title 
はじめまして、こんにちは。
ヘビ役だった小枝と申します。このようなレビューをいただけて、本当に嬉しく思います!!まさに一字一句違わず、我々のやりたかったことを、すべて受け止めていただきました!加藤めぐみ、いいですよね! ありがとうございました。
Re: No title 
最近あまり真面目にブログチェックしてませんでしたのでコメントに全く気付いていませんでした。
せっかく書き込んでいただいていたのに放置してしまってました。すいません。
蛇女は素直に面白かったですよ。
あの作品を見るとすでに若い人達は「梶原一騎的友情は今の世の中では維持できないが故に新しい形の友情を形作り始めている」ことを歌いあげていた事を私は高く評価しています。
いわゆる「アンチ三丁目の夕日」的なスタンスと言えばいいでしょうか。
大人たちはいつも「昔は良かった」に基準を置きますがそれはすでに変化に対応できていないことの証左と言えます。
そんな古い人とたちをあからさまに笑い飛ばす良い作品をもっと見たいと思います。
他のスタッフ・キャストの皆さんにもそうお伝えください。

ご覧いただきありがとうございました。

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