自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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B-DASH~07年4月21日編~

Category: 上映会・作品感想  
実は去年の5月に自前のPCがぶっ壊れたおかげでネットがまったくできなくなっていた。
もう極端な貧乏のせいで後継機が買えなくて、自前の掲示板も書き込めない状態が長く続いたため
書きかけてほったらかしていたいくつかの自主映画の上映会で見た作品やイベントの感想を
ブログを始めたきっかけに多少手直しして改めて昨日から書き込み始めている。
したがって時系列が狂っていたり、古かったりするけど、それは多少勘弁してちょうだいな。


というわけで今回は
B-DASH上映会。
会場はBABA CHOP。ここは高田馬場にあるミニシアターで、なんでもTV業界で仕事しているプロのDとかカメラとかしている宮田氏が自費(初めに「慈悲」と変換されたが案外外れてない気もする)で設立したキャパ50名程度のミニシアター。
各団体の自主上映での会場のレンタルとは別に宮田氏が主催しているのが毎月1回第3土曜日に開催している定期自主映画上映会がB-DASH(入場料800円の1ドリンク付。)。
上映したい人が自作を持ち寄って合同で行う上映会といえば感じが近い。

今回は俺も参加した昨年4月21日の奴から。
 
●野本大監督「*@17 」
ドキュメントって良い悪い分からんのよね。
フィクションって「いかに上手に嘘をつくか」みたいな というより何から何まで嘘で塗り固めるものだから、真逆の基準が分からん。
一度とてつもない下手なドキュメントと言うのがあれば見てみたい。そしたら少しは物差しが出来ると思うんだが。
ただ、考えたこととしての感想はある。

物語はリストカットを繰り返す「はりせんぼん」のごとき太い女の子と細い女の子(名前失念)の高校生を主軸に文化祭までの短い日にちを追ったもの。
ただ同じようなリストカット趣味とはいえ、はりせんぼんもどきの二人の姿勢はまるっきり違う。
はりせんぼんの太い方は自分が世の中、あるいは友人との繋がりを確かめるため(あるいはそれが上手くいかなかったときの贖罪的な)に自傷する。
だからその行為の向こう側に希望や要望が適わなかったことに対するリアクションという面を持っている。それは誰にでもある感情の延長線上にあるからまぁ理解できる。
多少あつかましいというか、押し付けがましいとはいえ、この太いの女の子の感情はいたってノーマルだ。常に社会とか友人とか自分を苛めた人間への復讐とか、そういったものへの繋がりを求めているし確かに持っている。

恐ろしいのはもう一人の細い方。
これがまったく他者との繋がりが希薄なんだわ。
友人であるおせっかいなくらい親身な太い方がいくら彼女を力づけようとも、心配しようともまったく斟酌無しに自殺しようとするんだわ。
まるで最初からそんな人たちがいないかのように。
カメラの前や親友の前では実に屈託無く話しているのに実はその誰ともつながってはいない。
これほど他人をないがしろにする行為にぞっと寒気がした。
かろうじて予告めいたメールを出したりしてる部分に、わずかではあるが他者との繋がりを意識しているのかもしれないと思えて少しだけ救いがあるが、あれは怖いわ。

作品構成としてはこの予兆なしの自殺予告のために周りがドタバタするが結局は無事であることを確認できて話は終わる。
この過程が上手くクライマックスっぽくなっちゃって盛り上がっちゃうところがドキュメントの神様が降りたと感じるかもしれんが、「流行りの若い人の自殺に軽い好奇心で手を出したら危ない目にあいそうになった」という感じも拭えない。

結局コチラ(小原)としては、他者とのつながりの弱さが自殺という選択肢に嫌悪感やタブー感の無さに繋がっているのではないかと思わされた。
が、それまで読ませるのが作者の意図だったのかどうかは分からない。
へそまがりの俺には、作者がどこまで気づいていたのか聞いてみたいところだ。

ところで、物理の素粒子の世界では「観測するという行為自体が対象に影響を与えてしまい結果を変えてしまう。」という現象がある。
ドキュメントにもこれが付いてくると思うのだが、その辺ドキュメントを作る人たちは皆どう考えているんだろう?

ところで、彼女たちはまだ生きているのか?

と言うことに今気づいたことが怖かった。

●「さればこそ」林和哉監督
妊娠中に捨てられた女と、その彼女にプロポーズする男の葛藤の一場面・・・・・・だけを抜き取ったもの。監督の話によると、あるテクニックというか表現方法を模索するための練習作品だとか。

実験したいという欲求は分かるけど、感情も動かないし、良いか悪いかも分からない。
何を試したくて、その結果はどうだったのか?そういうのはちゃんと口にすべきでなかったんだろうか?
普通ならこういう作品を有料の上映会で見せることに俺はあまり意義を感じないんだけど
むしろB-DASHという上映会ならではの試みだと思うけど、どうだろうか?
お金を払った分の見返りをプレゼンテーター(作者だけとは限らない。この場合BABACHOPの主意者も)は与えて欲しい。
でなければ客は何に対してお金を払うのか?
出品者が金を出していないのでその辺の意識が希薄になったのか?
が、その反面、やはり『実験』であってもそれが作者の意図であるならば流すことに意義があるのだとも思うし、この上映会は付属として毎回イベントが付いているのでそういうものを全部ひっくるめてイベントとして提供しているのだから正しいとも言える。
そういう意味で主催者は止める必要は無いとも思う。

だからこそそういうのを承知の上で客としては試験作品を「ダメだ」という自由もある。
そういう相克というか緊張関係があることが実は「良いこと」だということを人はあまり知らない。

でも俺の中で一番強い感情は「観客としては野球場に遊びにきたら練習風景を見るよりも出鱈目でも下手くそでも『試合』の方が見たい」
もんだ。

●「カワカナイカサブタ」小原茂樹監督
改めてみると・・・ズサンだわ、いい加減だわ、嘘臭せぇわ・・・・
本当、あの「可哀想な僕も格好良いでしょう?」ってところが腹立たしいな。
最初からそれが狙いだったんだが、今となってはあざとすぎてイヤ。
この日気づいたんだけど、セリフが漫画だ。それが臭さに結びついてしまっている。
漫画の影響を下手に受け止めるとこうなるんだな。

●「恋する乙女のラプソディー」山岸信行監督
あちこちで名前を聞くが作品は初めて。
専門はホラーが大好きだそうだが今回はオクラ出しの虫干しなのか(あ、俺も自分のときに虫干しだと言えばよかった)まったく赴きも違うし、一番の自信作というわけでもないらしい。
言ってみれば作者がこの上映会で常連化したことで起こったやりたい放題作品だった。
良い意味でも悪い意味でも、自主映画の上映会ではこういうことはちょくちょくある。
BABACHOPの使い方で顕著なのがそうでもあるからだ。実際俺の意図もそれに近い。

内容的にはホテトル嬢の主人公の女の子がダメな彼女の社長と出来てるけどふと出会ったカメラマンと恋に落ちたら、嫉妬に狂った社長が取り返しに来る・・・という、
ライトノベルというかライトコミックというか、そういう雰囲気と構成なので軽く見て楽しめば良いのだが、これだけ動画媒体が発達した現代ではアマチュア8mmフィルムの作品では感想というか感情では画面の粗さから来る辛さが前面に出てくる。
本当のところは知らないが、「ああ、ここはオーバーラップしたかったんじゃないのかなぁ?」とか「テロップを綺麗に出したいんだろうな」とかで思い通りに行かないもどかしさのようなものを思い出して苦笑。
主人公の女の子のモノクロ写真をアニメ風に処理したイメージ部分は今の時代では爆笑ものに。

劇中、登場人物がテレビでホラー映画を見ているくだりがあるが、相当好きらしく「本編」よりも凝っていた。
監督自身が演じた悪役(ホテトルの社長)が一番生き生きとして生命感があったのは監督が意図したかどうかは別にして人間は良い部分も悪いも部分も両方持っているからという本質の表現に結びついたからか?
というか、俺にはちょっとホラータッチのあの場面が生き生きしてて生々しいことで、本来描かれてるはずのポップな軽いラブコメ・テイストというジャンルが実は嘘っぽい人物の薄っぺらい物語であることを際立たせてしまった。
ラブコメって本来ありえねぇ人物描写と事件と、無責任で成り行き任せのいい加減な物語じゃん。
その嘘の世界にどこまで見る人を付き合わせるか?みたいなところがテクニックなわけだけど、あだち充の漫画にデューク東郷出てきたら、どちらかがどちらかを否定するよなぁ。

●「紅葉」マシュー監督
中の良い姉妹とその妹の方と付き合っている彼氏の三人がメインで、彼の告白をキッカケで妹は姉への恋愛感情に気づくというストーリー。
彼の作品は過去から何本か見ている。
アマチュアとしては高い技術を安定して持ってはいるが、描かれる内容とかテーマが幼いというか幼稚で現実逃避的傾向すら感じるのであまり好きではなかったが、本作品はそれまでと比べると随分大人にはなったなぁ。と。

とはいえ、それ以外というかこの作品単独で言えば見終わった後の印象が無い。
良くも無い、悪くも無い。無感動(感情が何も動かない)。
アマチュアとしては絵が丁寧なのにこんなに印象が薄いのは何故か?
と考えて分かったのは個々のカットの綺麗さとストーリーのモチーフなりテーマと関連性が無いことだと気づいた。この作品を作る動機で最も大きいのは作者も言ったのだが「紅葉」の美しさだったわけだからそうなるのも当然といえば当然だ。
ストーリーは跡付け、というよりそういう撮影をするための理由付けに止まってる。だから絵の選び方と乖離している。
絵ハガキやポスター的な構図を切り取っただけだからだ。絵葉書は綺麗だけど物語は語らない。
この作品の場合、これは作者が最初から意図していた通りの撮り方なのだから、製作意図としては失敗ではない。
が、見た方としてはお話がある分、注意や関心もそこに向けられてしまう。
これならば純粋に初めの意図どおり、美しい風景を撮ることに専念した方が良い。それ以外の要素はむしろ「不純物」と割り切って。

どうしてもお話を語りたいのであれば、対象を剥がして裏返して転がして本当にカタチを執拗に探るべきだと思う。
そうしないことのデメリットは「対象が薄っぺらになる」だけで無く「興味を持った対象に失礼」であったり、さらには「好きなものに嫌われる」という不幸なことにもなりかねない。特にマイナリティを対称にしたときは注意すべきだと思う。まぁ、原作者が別の人だと言うこともあるからなんとも言えんな。でも大事なもの大切なものほど弄り回すべきではないかと。
最後まで分からなかったのは劇中『僕らは紅葉のようなものだ。』というセリフが何回か出てくるが、さっぱり意味が分からん。
聞き逃したのかもしれんが、誰か意味教えてくれ。

思ったこと
この日上映された他の監督の作品がどれも素材やテーマが全て「恋する乙女のラプソディー」に含まれていた。
ちょっと悔しい。ちゅうかめっちゃくちゃ可笑しかった。


●B-DASH総評
参加したのは今回で2回目。
この後さらに翌月にもう一回参加しているので総評はそのときにまとめて書きます。

そうそう、まったくトークショウが機能していないけど、そもそもあれは何を目的としたのかなぁ?
あと、アンケートとかしたほうが良くないだろうか?作品はある意味感情の塊だし、媒体(コミュニケーションツール)なわけだから帰ってくるものが何もないと言うのはどうなのか?と思う。
いや、まぁ、スクリーンに自分の作品がかかって良かったね。という場であるならばそれもそれで良いんだが、なんかぬるいぞ。
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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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