自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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平城遷都1300年祭 訪問記

Category: 日常・雑記  
時期外れの帰省にかこつけて行って来ました平常遷都1300年祭。
好天に恵まれて絶好の行楽日和でしたけど・・・・恵まれすぎ。
ちょっと尋常じゃないほどの人の数!

せんとくん

俺がいた頃の誰も居なくて広大な草っぱらとわずかの敷石だけが残っていた平城京の面影はすっかり無くなり、その当時は無かった真新しい再建大極殿と朱雀門がりんと聳え立つがそれ以外はやはり平原という不思議な空間になっていました。
で、カミさんと母親と弟夫婦と頭数は賑やかでも歴史に興味や関心や知識があまり無い私以外の連中はおおむねこの古代の都市の痕跡を見て思ったことは
「一握りの特権階級の為に全国の人たちから搾り取った税金で建てた贅沢の象徴」だということでした。
家族だけでなく通り過ぎたり行き違った人たちの中でもそういう人がけっこう多かったです。
これが正しい庶民感覚という奴でしょうか。
でもそれを言ったら古代から近世にかけての大型建築物はすべてそうなってしまいますよね。
何を見ても同じ感想しか持て無くては行った意味がありません。

せっかくなので一般の「歴史あんまり知らないよ~」人向けの平城宮の楽しみ方ワンポイントアドバイス。

(今回も長いよ!)
 
平城京は西暦710年に元明天皇の詔により奈良・明日香の藤原京より遷都されて出来た都市ですが、ここに至る過程を知っておきましょう。
当時の文明最先端国家であった中国は中華思想の元周りの国を東夷、西戎、南蛮、北狄なんぞといって属国扱いしてました。
中国人的に言えば「文明国ってのはなぁ、俺たちみたいに法律があって官僚体制が出来てて組織化がされてて町だってちゃんと計画的に作るだけの知恵と力と科学がある国のことだよ~ん。お前らみたいな善悪がその時の気分次第とかいう野蛮な国とは格が二段も三段も違うんだよ~ん。ってかお前ら本当に国家?ムラじゃないの?」と見下してたわけですね。
初めは中国という大国をバックにすることで国内の統一を成し遂げた大和国家は次に自我が芽生え今度は「よ~し!次は俺たちも一流になったるでぇ~(もちろん関西弁)!」と言って「単に一番強い王様」から「国家」になることを目指して舵を切りました。
遣隋使・遣唐使というのは数多くの貴族や坊主が命がけで中国の法律・行政・文化などありとあらゆる知恵と知識を吸収し持ち帰ろうという国家事業としての冒険留学活動だったわけです。

今、テレビでやってる龍馬伝では「西洋に追いつく為に西洋を真似よう!」というのが開国派の意図として紹介してますが、実は同じことをすでに1300年も前に日本はやっていたんですよね。どうして幕末にゴリゴリ攘夷派が居たのか不思議ですね?

大極殿内部(高御座) ←大極殿内部(高御座) 俺の携帯で撮影・・・・。


そうして、西暦607年に聖徳太子が「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す(俺たち対等だぜ!ヨロシク!)」とツッパってから100年。
やっと、やっと辿り着いて出来上がったのが平城京なんです。
本当はまだ実力的にはまだまだ未熟だけど一刻も早く中国みたいになろうとして、まるで生意気なガキが精一杯かかとを上げて背伸びしたようにして作ったのが日本で初めての完全人口計画都市・平城京なのです。
でもスケールは中国の首都長安の4分の1しかありませんでしたが、同じように中国と付き合いのあるほかの国家の中でここまで見事に吸収したのは日本だけでした。だから当時の日本人達があの都市を誰に一番見せたかったかというと「中国(唐)」なんですね。
遣唐使の帰国報告が当時の資料に記録されていますが唐に着いた日本人が向こうの係官に「お前はどこの国か?」ときかれるたびに「日本国」と応えているそうです。そのことを受けて唐の記録には「彼らは倭国という言葉が卑しい言葉と知っていて、自分の国を日本と言い換えるようになってきた」とあるそうです。自立心と自尊心の芽生えが見て取れますね。偏狭なナショナリズムに走りたくはありませんがこの話は「来た来た来た~~~!」という原始的な嬉しさを覚えてしまいます。そういうまさにクニから国へ生まれ変わった記念碑と見ると同じ景色が数倍良さ気に見えると思います。
ところで、気をつけて欲しいのは今回の遷都祭のメイン会場となっているのは「平城」であって「平城」という首都の中の官庁街に当たる部分のことです。
平城京が今でいう「東京」で、「平城宮」は「霞ヶ関」に当たります。
具体的にいうと近鉄奈良線の線路すぐ南に復元された朱雀門から大極殿までの囲まれた範囲が当時の官庁街にあたります。なので当然それぞれの省庁の庁舎が周りには整然と建てられていました。大体10000人が常時勤務通勤していたと推測されています。


平城宮空撮.

で、この平城京のイベントですが行った後の感情を素直に言えば「カスカスだったなぁ」です。
復元された大極殿とか朱雀門の他は土塀ぐらいしか歴史の手がかりが無く、それすらも前述したような知識が無ければ「はぁ、そうですか・・・・。」としか思えません。あとはイベント会場用の出店や屋外ステージという現代のものばかりです。もともと広大な草っぱらだけだったのですが、とてもその面積を復元構造物で埋めるわけには経済的にも資料的にも出来なかったようで、そのため「行ってみたけどすぐ見終わった」という感じになる人が多いと思われます。
事実広さの割りに見るものがありません。

うちの家族を見て思ったのですが、行き先が神社仏閣であれば相手の宗派や仏像の区別が付いてなくてもお参りすることで「達成感」が有るのですが、大極殿だとすることが無くて何も感情が動かないようです。
だから余計に「贅沢物」にしか見えなかったのでしょう。
そのためここを訪れるのに一番大事なものが「イマジネーション」となっちゃっています。
元々あそこは何も無い原っぱを前に頭の中で1300年前を空想して楽しむというのが正しい姿だと思いますが、歴史好きというマニアックな中でさらに万葉・白鳳時代のことを知ってる人なんて限られすぎています。

補足:だから本当は大極殿・朱雀門以外も宮内には官庁(二官八省一台五衛府は全部言えるようになろう!試験に出るからな!)の建物もびっしりと建ってたんですよ~!

イマジネーションするにしても種が必要なはずですが、大極殿と朱雀門だけでは無理ですし、にわか仕込みの浅知恵で妄想できるほど奈良時代は近くありません
そのため、1300年祭のイベントは催し主体になっています。私が行った日は「少林寺拳法選手3000人の演武」が行われていました。なぜ少林寺かは分かりません・・・・・。
なので想像力に自信の無い方は訪れる日に何が行われているかを知ることが非常に重要なポイントになります。
なるべく腹持ちの良いイベントを選んだ方がいいと思われます。

補足:出店は色々やってるようだけど身内に体調悪くしたものがでたのでゆっくり覗けなかった。残念~!


これからいってみようと思われる方は
●ちょっとだけ平城京時代について勉強してみるか(※)、
●事細かにイベント日程を調べていくか
の、どちらかがお勧めです。


仮装行進




(※)お勧めは永井路子「氷輪」上下巻(中公文庫)

永井路子「氷輪」

小説というよりは論文ぽいけど専門書よりは読みやすく、人物だけではなく政治・文化も含めた時代全般をダイナミックに俯瞰した良い本です。
永井史観は唯物感が薄く、その分人物達の愛憎の面での捕らえ方が強くなってますが、それゆえなじみの薄い当時の人物への理解がしやすいという特徴がありますが、本作では資料(国史)の読み込み方の面白さを堪能させてくれます。
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テーマ : 歴史・文化にふれる旅    ジャンル : 旅行

Comments

No title 
タイムリーなせいもあってこの記事へのアクセスが割と多い。
その流れで俺もあちこち同じワードで他のブログなどを見てみるとちょくちょく平城を混同している人が散見できる。時代が遠すぎて「あれ?」と気付かないほど我々の頭に知識は無いということだろうなぁ。

それにしても全然自主映画まみれていないなぁ

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
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