自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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夏休みの宿題としての「歴史新聞」というやつ。その1

Category: どうでもいい話  
夏休みも終ってアクセスもがた落ちして一安心。
基本的には『目立ちたい!』なんていうささやかな自己顕示欲は持ちつつも、意図しないことで注目を浴びる居心地の悪さと合い半ばの嫌気な一ヶ月でした。

二宮金次郎


さて相変わらずYAHOO知恵袋の方に飲んべぇのごとく「ちょっと帰りに軽く♪」っていった感じで通ってたが、夏休みということも合って寄せられる質問の中にあからさまな宿題救助要請的なものがあらゆるカテゴリーに溢れてた。日本史のカテゴリーでも同じ展開が繰り広げられていたけど、ちょっと惹きつけられたのが「歴史新聞」ってやつをめぐっての子供たちの悲鳴(笑-体言止め)。

俺が子供の頃はそういうものは無かったのでよく分からないがどうやら新聞の体裁で歴史事実をまとめるということらしい。

俺も昔は嘘(ジョークとも言う)ばかりで記事から広告から四こまマンガまででっち上げてウケを狙う「新聞ごっこ」という遊びはしたことがあったし、初めて「どんぱちプロダクション」を立ち上げたときはメンバー全員に進捗を知らせるためにも新聞を作ってた(その頃は全部手書き!)ので、この記事を見たときにある種のノスタルジーを刺激されていた。

それにしても、この歴史新聞という宿題。
他の科目と比べて質問者の苦悩の質が少し異質なものを感じていた。
どうも「難しくて分からない」のではなく「何をやっていいのか分からない?」というまるで別の国の言語で話しかけられて人状態になっている様子が伺えるものが多かった。
というのも「新聞形式である」以外はどの時代の誰にスポットを当てるのかさえ自分で決めなければならないのだ。

学校で習ってもいない人物の事績を新聞ネタにする?それって何から何まで子供に放り投げてないか?
生徒たちの混乱は同じ精神年齢の俺には少し思い当たる節がある。普段からもう準備されている「正解」を当てる・探す方法を勉強として学んできたものにとって正解が無いものを答えることは不安が大きいのだ。
常に合ってるのか間違っているのかを気にする思考方法だとこのような放り投げっぱなしは砂漠や海の真ん中に突然放り出されたような気になるのだ。一体出題者はどういうつもりで歴史新聞などという困難な宿題を出すのか?また評価はどのように下すのかが気になって逆に質問してみた
畳水練の子供をいきなり川に叩き込むような「ハードル高すぎないか?」という疑問と「先生楽しすぎてないか?」という反感からだ。
 
で、わずか一名だけが終了間際にお答えくださった。
それも結構大量の文字数で。
感謝。
回答者はまだ先生ではないそうだけど的確だと思われるのでちょっと紹介する。

そこでいう歴史新聞の目的ということだけど
①歴史的事象に関心を持ってもらう
②日本の歴史の流れ、背景を理解させる
③時代の特色を捉える
④伝統・文化の特色を広い視野で捉える

の4つだそうだ。

言われてみると至極まっとうで、まさに新聞としてではなく歴史教育そのものの正しい姿のように思われる。
が、これを見て思ったのが
普段そんな教え方してないくせに~♪
だ。

暗記科目と化した社会という科目をさらにそれで良しとする試験方法の確立を思えば、歴史新聞という課題は子供にはやたら時間のかかる効率の悪い作業に他ならないといえるのではないか?と思ったのだ。

そう思って補足したところまた適切な回答をいただいた。

詰め込み型→ゆとり教育→現在ですが、二つを踏まえて、基礎知識を踏まえる+能動的な姿勢を重視しているからですね。これを「生きる力」つまりは人生に対する姿勢として重視されています。人生の上で答えがあることは少ないですよね?だからこそ、自身で考え答えを見つける力を身が身に付くように変わってきているのです。


なんだそうだ。
それにしても、記憶主義と化している義務教育(←断っとくが絶対悪いとは思っていないよ)の場で、能動的に学ぶ姿勢というのは反射的にそりゃ無理だろう!?と思ってしまう。
自分から疑問を持つこと。それを調べることは一生かかって繰り返し行われる最も重要な人生のノウハウといえる大事な行為だけど、それなら「歴史」といった好き嫌いのある科目でやるんじゃ無くてそれこそ自由研究として「とにかく好きなものを新聞(雑誌)にする」の方がより前向きにできるのではないかと思う。

そう思って回答者が紹介してくれたサンプルを見てみた。

遣唐使新聞

確かに歴史って何百年も過去とはいえその日、そのときの出来事であり、単にその頃新聞やメディアが無かっただけだ。逆に言うと、もしその頃新聞があったらどんな紙面になっただろう?と考えた方が書きやすいかもしれない。と、思った。
でも、こうして模範解答的な新聞を見れば見るほど、新聞というフォーマットは歴史のためにあるのではなく「出来事を知らない人に伝えるのにかなり特質化したフォーマット」なんだと気づく。新聞というものは「歴史の授業だけに使うのはもったいない教材なのかもしれない。もし「調べたことを誰かに伝えたいと思うのなら」まさに「新聞形式で発表することこそ適切なのではないか?」と思った。
先に書いたように国語でも算数でも理科でも、いや、教科を超えてファッションでも動物の話でも何か自分の好きなことを誰かに伝えたい!思ったならばそれを新聞にするとした方が良いとなおさら思った。

だいたい新聞って思い返してみたら「事件」や「事故」だけでなく医学や家庭や映画や本やコンサートなんかもちゃんと記事になっている。人が人に何かを伝えるのにもっとも適切で効果的で基本的なが新聞というフォーマットなんだと。それこそ「調べてまとめて伝えるためことが人生で一生涯使える最も重要なテクニック」なのではないかと思った。

歴史新聞という課題は「歴史を学ぶための教材として」にはやはりそれほど適しているとは思えない、が、歴史という枠を取り払って「自分が好きなものをいろんな人にわかってもらうためにメディア(媒体)を使う」という視点に立てば作る方も見るほうもかなり面白いのではないか?
いやそっちの方がいいじゃん♪
と勝手に気に入ってしまった。


ま、俺は慣れてるからだけどね。
自分が子供時代に作ったテレビ欄まで捏造した傑作新聞をお見せできないのが残念です。
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Comments

自由研究発表新聞ってことになるのか 
だとしたらそっちは既に普通にありそうな気がする。
と、今気がついた。
回答が役に立てたようで何よりですw 
>そりゃ無理だろう!?
確かにそう思いますが、そこで諦めてしまうと可能性すら消えてしまうので……( ┰_┰) 。この為、現在では授業にインパクトがある事が必須になってきてるんです。例えば実際の旧お札を持ってきて「ヒゲ生えてる→権力の象徴→おじいさんって凄いねwww」という具合に。
 素晴らしい考察だと思います。自由研究と違うのは「歴史は常に変わる」という事ですかね?鎌倉時代のようにコロコロ変わるからこそ、視点が大事になってくるので。
 回答が少しでも役に立ったようで安心しました。長文失礼しました^^
い~ちゃんさんへ 
少し放置してしまってすいません。
レスに分かり今日新たに記事にしました。


かなりウザいと思いますがまぁ、ふふふん♪とご笑納くださいませ。

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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