自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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巨人の星は純文学やったんやね。

Category: テレビ  
これといってみたいテレビ番組は無いのだが家に帰るとなんとなくテレビをつけてチャンネルを回してみる(回すって何歳以上の人が使うのだろうか?)。
そうしてるうちにまったく関連無くテレビ神奈川で再放送中の「巨人の星」に遭遇することがある。

メインタイトル


実はこの放送中の奴、最新デジタル技術による補正作業を通じてリニューアルしたものなのだ。
フィルム映像を放送していた時代にあった画面の汚れや擦れが無くなり、まるで今の時代の新番組のように真新しくなっている。
が、そのあまりにも綺麗な修復作業のおかげで、当時なら許せたアクションのコマ割のつたなさとかデッサンの崩れ、背景とのミスマッチ(縮尺や高低差が合ってない)などの粗が目立つばかりか、背景にセルを乗せた影までもが再生されて「これは作り物です」感が強調されて入り込めない。
いやぁ~アニメにまで「フィルムのほうが良かったナァ」なんて思うようになってしまいました。
 
実は俺いまだに「巨人の星」はテレビも漫画も虫食いでしか見たり読んだことは無く、粗筋ぐらいしか知らない。理由はただなんとなくあの70年代を表す一面でもある「重さ」と「暗さ」に馴染めないからだ。まぁ見たことも読んだことも無いから単なる先入観から来る食わず嫌いなだけなんだけど。
そうして何回かまったく連続性無く途中から途中までを見たが、一昨日にもたまたま見てしまったんだが、とにかく星飛雄馬の独白が多い!
この日は二軍に調整に来たON(王・長島)のバッテイングピッチャーをした飛雄馬が二人を切りきり舞いさせ、これで一軍から呼び出されるだろうと思ったらなしのつぶて、逆にぼかすかに打たれた同僚がONからお褒めの言葉をいただき周りからもちやほやされる。それでもとにかく人よりたくさん練習しようと歯を食いしばる飛雄馬。見たいな話だったんだけど。
この日はテーマがテーマだっただけにとにかく飛雄馬の愚痴が多くて見てて閉口した。
っていうか、ここのところ何度か遭遇したがどれもこれもとにかく星飛雄馬の愚痴みたいな独白ばかりなのだ。
父が分かってくれない、先輩は俺の実力を分かってくれない、せっかく成果が出たと思ってもすぐにライバルに追い越される。監督は怒ってばかりだ。親友の伴も何かと自分に意見する。
父が何を考えてるか分からない。ライバルたちは冷たくて友人じゃない。先輩も何を言いたいのか分からない。
分からない、分かってもらえない!
そんな出来事やエピソードばかりだった。

星vs花形手ぬぐい70%
ネットで偶然見つけた「飛雄馬vs花形 てぬぐい!」


このグチグチと湿気の多い男の心情風景って何か覚えがあるなぁ?
って思ったら気が付いた。
夏目漱石の「こころ」だ。

いや、ぜんぜん違うけど、思春期の青年が自覚している自分のことと世間から見えてる自分との乖離からくる誤解や軋轢の中に身をおいてギリギリと毎日締め付けられてしまう感情を事細かに描写するというスタイルについて「こころ」を読んだあととの慨視感を感じたのだ。
 プロ野球の選手という常人ではない登場人物でありながら、そこで語られる物語のほとんどは一般の普通の人たちが共有する出来事やエピソードの塊だ。
仲間内では秀でていたので天狗になってたら大人の世界ではまるで通じず、自信が崩れて絶望する自分。そのくせちょっと良いことがあるとすぐに有頂天になったりして、それを繰り返しているうちに絶対値が分からなくなる自分。年功序列や物心両面での貸し借りなどの駆け引きによる純粋に勝ち負けだけでは決まらない順列。身体的にも生活的にも感情的にも何も共通点を持たない異性に対する憧れと畏怖などなど。
残念ながら70年代は洟垂れのガキだったのでその当時の青春像についての共有感はないが、それでも今に通じる若者の心象風景と異なることは無いと思う。

この繊細で詳細な心理描写が多くを占めるまるで純文学のようなといっても良いこの物語って原作の梶原一騎にとってはどういう位置づけで作ったんだろうか?
単純に新しい手法のひとつとして漫画に純文学を入れようとしたのか?
それとも当時子供が読むものと蔑まされていた漫画という目メディアは決して文学に劣るものではない!という挑戦またはアピールだったのか?
事実、同じ作者の「あしたのジョー」とこの「巨人の星」は当時の大学生が夢中になって読んだという。漫画が子供の読み物という時代には当の大学生にだって同じ感情はあったはず。にも関わらず学生たちは夢中になったのは彼らが幼児化したのではなくて飛雄馬やジョーが描いた心象風景が文学よりも顕著に彼らの心象風景を描き出すことに成功していたからではないか?
そういう気がした。

王・長島・野村・江夏・田淵などすでに雄姿が見られなくなって久しい人間たちのパレードがあるためどうしたって時代性を拭い去って読むことは難しいが、その古臭い包み紙を取り払えば中にあるのは勝てば喜ぶ打たれればへこむの両端を行き来する今も変わらない10代の若造の姿があるように思えた。


日本でもっとも有名な親子.JPG

まぁ純文学っぽいとうすうす感づいたから今まで読まなかったのではないかと。



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テーマ : 漫画の感想    ジャンル : アニメ・コミック

Comments

タイトル変えたよ 
もし飛雄馬が負けてたら、きっとグジグジと自分の半生を書き上げた挙句玉川上水に身を投げるような気がリアルにするので、漱石というより太宰かもしれないという気になった。
そんなこんなで読み返すとそれほど新しそうな気がしないので穏やか目にタイトルを変えました。

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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