自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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自主映画は幸せの青い鳥だらけ

Category: 自主映画雑感  
とある自主映画の上映を主催しているおっさんが、公募作品に「自分探しをテーマに『結局幸せは自分のそばにあったんだ~♪』」風作品の多さをグチっていた。
映画というメディアはまともに作ろうとすれば予算がかかりすぎる。
潤沢な予算をつぎこめるわけのない自主映画では、自然身の回りの出来事をモチーフにする作品が多くなる傾向はある。
とはいえ、本来なら特別有名人でもタレントでもない一小市民の物語には何の訴求力もないのだが、日本の場合特に私小説というジャンルが確立しているため、みみっちいテーマやモチーフであっても抵抗なく作品にすることができる。むしろ自らの心理をひけらかすことに誇らしさすら染み出させていることが多い。
本日は久しぶりに自主映画の中でも「商業映画を目指すんだ!」というまともな作品(※)ではなくて「俺の心の叫びを聞いてくれ!」という姿勢で作られた私小説ならぬ私映画に見られる「幸せの青い鳥はすぐ傍にいた作品」についてちょっと思うところをそのままお届けします。

読んだことはない。

 
最初に掴みで紹介した上映会の主催者が見た作品群はあいにく俺は見ていないけど、主催者の青い鳥作品群に対する評価はおおむね「つまらかった」という論調である。
「メルヘンだから成り立つ話を
いい歳こいた大人が何言ってるんだ?」
というのは痛烈なツッコミで大笑いしたが、屑作品ほど好きな俺としては是我日にでもそれらを見たいと思っているが、上映作品と言えども個人情報の一種(特に私映画の場合は!)なので開催主体でない俺はその作品を見るとこはないだろう。ただ、見てないまでも言えるのは「幸せの青い鳥がすぐ傍にいた」というテーマ(結論)自体は本来ならばメルヘンでなくても悪くも間違ってもいないということだ。物語というのは目標と障害の設定とそれに向けての挑戦を経て結論に至る、その「論理」をデコレーションしたものだから、論理さえしっかりしていれば少なくともフィクション上ではどんな結論を出すことも不可能ではないからだ。その技術さえあれば「戦争を肯定することも、差別を助長すること」も可能だ。したがって「つまらなかった」理由は、結論にあるのではなくて
●その結論に至る前提が正しくないことから来る論理の破綻
または
●前提を設定する際の稚拙さ、平凡さ、都合のよさ
が原因であることはほぼ間違いないと思われる。
こう言い切るのも過去に大学の映画サークルの上映会などをハシゴなどしたこともある俺にとっては、まぁ同様の傾向を見ることは稀ではないからだ。
そこで俺が見た「幸せの青い鳥」作品群で感じたのはいつも「何に悩んでいるの?」と「あ、それでいいんだ・・・。」という感触である。

登場人物、または主人公は「何かに不満である」または「何かに迷っている」といった状態から始まる。
それは同じ時代の同じ年頃の人間なら誰もが持つ健全な悩みでしかないのだが、彼らはその謎を突き詰めることはなくただ呆然と隣り近所をうろつくか、ひきこもるかする。
で友達や家族の温かい励ましで元気を取り戻す。ああよかったね。というストーリーに見覚えのある奴はいるだろう!?
論理は破綻していないが感動が全くないのは俺がもうくたびれた大人だからということもあるが、要は悩みに具体性がなく同意するまえに終わってしまうからだ。
それもそのはず実は作者本人がその正体を突き詰めていないが為に探す方向や対象が絞られず、そのために物語が「どこに行って何を探すかも不明なまま」歩き始める。だからちょっとイイことがあるとそれで障害を乗り越えられたと結論付けてしまい、幸せを手に入れたとしてしまう。という構成だ。
大人だったら居酒屋に行けば済む程度のことでしかない!

居酒屋で飲む程度の話



本来エンターテイメントにおける物語においてはオチに至るカタルシスはその障害が大きければ大きいほど良いわけで、「魔球を投げるためには投手生命を断つほどの訓練」をしたり「プロポーズするためにダンプカーの前に飛び出す」という努力とか苦労があって初めて他者は感動する。仮に身近なところに幸せを見つけるにしろ、それならばぜひ世界中を回りに回って必死に探してからにしてくれないとカタルシスゼロ!
な~んの苦労もなく手のひらを上に向けてアホみたいに口を開けて待ってるだけ。たまたま落ちてきた埃か枯葉を「宝物だ!」とか言ってるのを何本も見せられるのは拷問である。自主映画拷問への耐性のある俺なら無事でも他の人はそうはいかない。

ここからはその話を聞いたあとでそもそも一体彼らに何の不満があるのだろうか?と考えてみた。
すると彼らの取り巻く世界が実は「すべてに満ちたりていて具体的な不幸なんか思いも付かず、残されたのはただ単に未来は分からないという当たり前の不安だけ」しか残されていないからではないか?という気がした。
飢えも無いし、ほとんどの危険な伝染病は駆逐され、治安の良さは世界一。とりあえず政情はみっともなく不細工なだけで内乱に兆しはない。さらに少なくとも自主とはいえ映画を作れるぐらいであるならば住むところも高い家電も保持しているわけで世界基準で言えば「豊か」であるということは間違いない。これで不満を言えば罰が当たるぞと。
だからこそ苦労することや努力することに方向性が生じるはずもなく、また遠くに足を伸ばす必要もなくなる。
もともと不足しているものが無いのであればその人の居る場所はまさに「初めからユートピアなんですよ」ということだ。
青い鳥の巣の中に我々は生きている。

そりゃ悩みますよ


「観客に迎合しない私映画(自主映画)だからこそ過剰な装飾を取り払って等身大であるべきだ!」という考え方がある。
それはそれとして立派な考え方だ。だとすれば、はっきりとしない不安や困難を、ささいな喜びだけで充足したとのたまう希薄な物語があったとすれば、それはまさに作者の心構えとか生き方を反映していると判じて良いということだ。
結局のところ身近に幸せの青い鳥を見つける人は、無意識のうちに私は今幸せであるということを吐露しているだけにすぎず、そのくせ「重大な悩みがあるフリをしている」から見てる方は生ぬるい肩透かしを食らう。そんなどこにでもいる区別のつかない一市民の無自覚なハッピー♪話」を主催者やコンテストの審査員は何本も見せつけられてイラっとするという構図が出来上がる。
それが自主映画の中の「一個人の心情を吐露する私映画」の現況ではないかと。

さて、ここで暴騰の主催者の言葉に帰ると
「こういう無自覚な幸福に気がつかない話を人生の経験時間がまだ短い若い奴らが語るのはまだしも、
十二分に生きてきた大人がその間に何の問題意識も持たず努力もせず苦労もせずぬるま湯の中から一歩も出ることなく「これが本当の幸せなんだ~」と結論を垂れ流すということに関して俺も彼と同様イラっとする。



まともな作品(※) 実は商業映画を目指している作品だからといってマトモとは限らないのでこういうわけ方が現実を反映しているとは言えない
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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

Comments

No title 
もろもろ勉強になります
毎度、私の悪い癖ですが
今月「青い鳥」撮ります!
ほったらかしてごめん! 
>もろもろ勉強になります
今日も生ぬるい若僧の脚本読んじゃったよ(嫌いじゃないけど)。
「夢を追う」という言葉に酔っ払って現実との葛藤をまるっきり見ていない作品を「映画の仕事につきたい」と思ってる人間が書いてると「たぶんこいつは夢破れてあきらめるのも簡単なんだろうな」と思わざるを得ない。無謀なことに挑戦する時代(時期)にはそういうことが必要なのかもしれんが、物語として読まされて感動できるわけがない。

という話のあとになんだけど
>今月「青い鳥」撮ります!




まぁがんばってくれ・・・・v-8


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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
商業映画ハ嫌イデェス!

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