自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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あなたの知らない世界が・・・・・

Category: 日常・雑記  
mixiの参加コミュのひとつにアイキャッチの面白さにつられて

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「心霊スポット【関東】」ってやつ入ったら、ここの更新が激しくて、毎日届く「コミュニティ更新情報」の大半が心霊関係ばかりになってしまった。


あっちの世界って本当に活発なんやねぇ。

自主映画って・・・・・心霊よりマイナーだったんだ!
 
しかし、え?と思うほどどいつもこいつもが無条件で無抵抗でダボハゼのように安易にあやふやなものを信じているのが怖い。
懐疑的であることこそ信じるものへ近づくもっとも確かな方法だと思うんだけどね。
だってあの手の話って嘘や間違いを簡単に指摘されることの方が多いのに、そんなものを簡単に信じてそのあと否定されたら、もう嘘にしがみつくか、次の安易な不思議に飛びついてまた否定されるを繰り返すかでちっとも腰が落ち着かなくて話に説得力がなくなってくる。
真実ってのは疑って疑って疑って、それをクリアしたものであるべきだと思うぞ。

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Comments

嘘でも本当でもどっちでもいいじゃないすか 
嘘にしがみついてるのではなく、嘘に乗っかっているのだと思うのですが。

心霊体験談に夢中になったり、占いに一喜一憂する姿は 映画や漫画、小説なんかを切実に求める姿に重なると思うのです。

例えば。

女の子とイチャイチャしてて、「ず~っと一緒に居ようね!」とか無茶ブリされたとき小原さんは『疑って疑って疑った結果』

「や、物理的にも大脳生理学的にも無理」

って言うのですか(笑)

ビリーバーの方々も懐疑論者の方々も求めているものと「切実さ」は一緒だと僕は思うのですが、そういう「切実さ」は創作するものにとって拠り所となるべき所だなぁと僕は思うのです。

そこら辺が小原さんの言い回しだと一言で切り捨てられてしまうような気がしたので 僭越ながらツッコませて頂きました。


濱田@お久しぶりです 君へ! 
モーニング見損ねたんだよ~~~~!

>心霊体験談に夢中になったり、占いに一喜一憂する姿は
> 映画や漫画、小説なんかを切実に求める姿に重なると思うのです。
面白い視点だなぁ。
確かにあの「心霊スポット」コミュの書き込みを見る限り
「楽しくて楽しくて仕方ない!」というポジティブなものが大半で
霊症に苦しんで悩んでいるというのはまだ見かけていない。
「アナタが行けない所、僕等が逝きます!」というスレッドはまさに娯楽に昇華されているよな。

積極的に不思議・不気味・怪異を「楽しむ」んなら、確かに面白いし、ああやってコミュニケーションを取れるのなら精神上は害よりも益の方が大きいのかもしれん。

>女の子とイチャイチャしてて、「ず~っと一緒に居ようね!」とか無茶ブリされたとき
>小原さんは『疑って疑って疑った結果』
>「や、物理的にも大脳生理学的にも無理」 って言うのですか(笑)
そ、そ、それは例えが悪い。
なぜなら・・・・・・多分その通り(wwww)。

マジレスすると
「ず~と一緒に居ようね」が本当の台詞なのか、冗談なのか、騙してやろうという悪意なのか、酒による錯覚なのかが不明なので、それだけで「あ、俺に惚れている」なんて決め付けられないということです。では、どうすれば真意が分かるだろうか?と思うことです。
今はそう言ったけど、明日はどうなの?明後日は?他の人に同じことは言ったこと無いのか?
こいつは俺の何を知ってそう言うのか?俺に騙されてるんじゃないか?求められてる役割は「男」としてなのか「ガードマン」としてなのか「ペット」としてなのか?などなどなどなどなど。
それらがすべてクリアされれば「せりふは真意から出たと判断」できて
「俺もそう思うけど物理的に無理。」と自信を持って答えられるじゃないですか、
同じ答えだけどww。
もちろんその場合「通いならどう?」という代案の提案もできます。

懐疑的であるということは=否定ではなく「本当か嘘か判断する確かな証拠集めをする行為の源」だと言う意味です。
そういう中でたどり着いたのであれば「幽霊」だろうが「スピリチュアル」だろうが信じられるものになるんじゃないかと。
疑うという言葉は「これは本当か?」「どうすれば本当を証明できる?」という真実を追究する過程を口悪く言ってるのであって人から聞いた話を鵜呑みにすることではないと思うんだよな。
今回は書き方が悪くて話が飛躍してしまったが、確認できない話を鵜呑みにして真実を追い求めない姿勢って「疑似科学」や「心霊治療」にハマって根こそぎ財産取られるなんて出来事の一因にもなるわけでそういう人のことを頭に強く浮かべてしまったからなんだよね。
でも、どこかに本当の霊能力者なんてのもいるんだろうし、幽霊というのもいるとは考えているが、そんなにあちこちごろごろしているとも考えていない。本物は希少で貴重で重要だと思うのでなおさら偽者に騙されたくはないんだよなぁ。

ちなみに実は俺も一枚自分で撮った「通常の一眼レフでは絶対撮りえない不思議な写真」を持っている。
また今もお中元とお歳暮のやり取りが続いている宮崎のエクソシスト業の知り合いがいたりするんでそっちの話も一部信じてはいるが、懐疑的に見ることで「嘘や間違いの多さ」にも気づいている。

>小原さんの言い回しだと一言で切り捨てられてしまうような気がしたので
ネタばれすると、一言で切捨ては今回に限らずわざとです。
どんな物事にも必ず例外というものが存在していますが人に伝えるときは言い切らないと面白くならないからです。
また
>どっちでもいいじゃないすか
というのは、私自身もそう思っていますが、正確には世の中にはどっちもある(存在)べきだけど、一個人それぞれは確信と信念を持ってるのならばどちらかのポジションに決める(変更するのはあり)べきである。と思っています。
その上で、他方を否定したり攻撃したりするのも「あり」だと考えます。
敵がいない世の中って本当につまらなくて熱度の低く活気の無い世界のような気がしませんか?
だから敵だからといって滅ぼしてはいけなくて敵は敵として存在し続けるべきであると思います。
戦うことって難しくてそれでいて楽しいことですよ。

>そういう「切実さ」は創作するものにとって拠り所となるべき所だなぁと僕は思うのです。
概論その通りです。
ただ一個人の作家としては関心のあることに関してはYES/NOのどちらかを懐疑的に追い求めていって決めるべきだと思います。我侭と歪み狂いこそが個性であり作家性だと思いますから、みなと一緒ということこそ避けるべきだと思います。
関心の無いことにまで気を使う必要は無いですけどね。

PS:「自主映画はすばらしい」はもはや背骨ですが、原則、見てない作品は他人がどれほど推薦しようと評価はできない。ただし、見たあとで推薦者と一緒になって「すげぇ!おもしれぇ!」ということだって普通にある。
懐疑的であることが無作為に「糞も味噌もすばらしい!おもしろい!」などという毒を吐き散らかさずに済む。
それと同じですが・・・・・・・それでも貫徹することもまた難しいんだわ。

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

ダカラァ
商業映画ハ嫌イデェス!

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