自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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6月24日の佐藤圭作

Category: 上映会・作品感想  
佐藤圭作という男は、去年「人間椅子(原作:江戸川乱歩)」で無事商業映画デビューを果たした自主上がりの映画監督である。
と同時に俺とは 生まれ・育ち・学歴・態度・外見・全てにおいて真反対のいわゆる・・・・・・・・・というやつである。
個人的に付き合いはそこそこ長くなったが、原則は敵である。
誰がなんと言おうと敵である!

その彼が劇場デビュー作人間椅子の公開に合わせて行ったのが自分の自慢大会 自主映画の上映会。
会場は高田馬場のBABA-CHOP(アリキックの返し技ではない←盗作)
あいにくの雨で客足の伸びは少なかったものの、結局はほぼ満員。
知人関係が多いため宣伝のためというよりはお祝い会のようになったが、一部に無関係者も居たようだ。
まったく持ってもったいないが、自主映画でブイブイと言われた人もしょせんこんなもん。
かように自主映画は、公民権が無い・・・いや知名度が無い。
そりゃそうだ。

開場から上映までの待ち時間の間にスクリーンに作品から抜いた風景シーンを次々とオーバーラップする映像を投影。
上手い!(←こういう上品なところが気に食わない)
前説で開始前に客席を暖めておくという手法はあるが、こういう手もあったのか!と。
だったら、ああいう手もあるなぁ、とかこういう手もあるなぁと思いつく。いつか使おう。
 
『二花子の瞳 ~にかこ、の、ひとみ~』2002年/DV/39分/監督・製作・脚本・編集
二花子

だいたい初めて見た時からこの映画は気に食わんかった。
展開が不幸な方へ不幸な方へと行くベクトルが本質的に嫌いだったのはあるが、何といっても通常の人間が誰でも持っている「汚いもの、醜いものは嫌い!」という後ろめたい共感を同じ日本人から断罪される不愉快さとでもいうやつだとずいぶん後になって気づいた。

日本人だからといったのは特に「穢れ」に対する強い嫌悪感が特徴だから。
同時に他の人は皆同じはずだという歪んだ平等感覚が逆に「お前(作者に)に、そうやって人を責める資格があるのか?お前だって本当は嫌いだろう?」という不愉快な反駁を覚えさせる。
作品(それもフィクション!)に責められるってのは非常に気分が悪い。「原罪」を同じ人間に責められたくはないのだ。
本人はどう思ってるのか知らんが梵天よりこっちの方が動かされる感情は大きい。
が、上記の理由により昔俺が主催した上映会ではこっちをはずした。あの頃はまだ俺も嫌な理由が分からなかったから。

ところで、初見のときから気になっているのは
いつ壊れてもおかしくないくらい危うげな均衡で成り立っている設定だけど、クライマックスに至るキッカケとして起こる事件で、外部からの侵入者は助けてもらっておきながらその相手に向かって「化け物」と口にするのだが、それは無いと思う。そういうメンタルは日本人には無いからだ。
実家(奈良)に住んでいたころ、通学の電車であう顔面が皮膚の腫瘍に覆われた男が居た(←マジ)。頭から顔面の左側を中心に3/4が腫瘍のため倍ぐらいに紫色のかさぶたのようになって表皮が膨れ上がり、そのため片目は肉で覆われ口内まで膨張した肉塊が口を開きっぱなしにし
ているので、涎が常に垂れる。駅の暗がりでばったりとその人に出会ったときですら「あ!。」としか声が出なかったからなぁ。
むしろ危うい均衡を設定しながらそれを隔離された世界においたために却ってその世界の強靭さを感じてしまった。壊れそうなのに壊れない関係性を破壊できずに無理をしてしまった。そんな感じを持った。

上映中、観客の一人がクライマックスの怒涛の演出中とうとう耐え切れずトイレに駆け込んで吐いた。
それぐらい迫力ある映像と演出なのだが、その観客の苦悩を見ながら「あいつ絶対喜んでるやろなぁ。」と思ったら、やっぱりそうだった。
なんちゅうか、他人に正義感を強いる嫌な映画なんだわ。
佐藤圭作という男は財布を拾ったら警察に届ける嫌な奴だ。で、この映画はそれを他人にも強要する。そういう作品なのだ。

『NEZI』1999年/DV/45分/脚本・出演
佐藤圭作作品で一番最初に見たのがこれ。
TUTAYAのインディーズフェスティバルの第1回目のときの作品としてどっかの家に集まって徹夜で片っ端から見た中のひとつ。
当時は俺もまだ身の回りのアマチュア仲間ばかりの中にいて、ちゃんと映画を撮ってる人はいなかったから、この作品だけでなく一緒に見た他の作品にただただ唖然。
「こんなにちゃんと撮ってるなんて、自主映画の風上にも置けない野郎だ!」と怒りに震える。

自動車修理工場を営む若夫婦の家に突然現れる謎の怪人物の依頼は家の前にねじの自動販売機を置かせてくれというもの。
誰が買うのかと思っていたら夜な夜な人々が現れて螺子を買っていく。奥さんはその人間たちが行くところをつけていくと・・・・。
とここまではちょっとシュールだけどホラータッチ。でこの後怒涛のアクションとくるわけだが、だいぶ前から本人は「あれはバカ映画だから。」と言い放っていた。俺はきっと本人が怪人をやっていることを指して言ってるんじゃないかと思っていたが、久しぶりにでかい画面で見て納得。
笑えるんだわ。ここぞというところにお約束の俗っぽいエンターテイメントで必須のお約束演出が連荘で出てくる。
映画をほとんど見ない俺でさえ分かるコテコテ映像が。

で、やっと俺とあいつの意識の誤差が分かった、同じ演出であっても単なる物真似じゃないところが、向こうはバカ映画と認識していながら、きちっとオリジナルに消化されている。他方遊びで映画やってていい加減にしか作ったことがない俺には十二分にリッパな作品にしか見えなかったんだな。
クライマックスで螺子にまつわる講釈が語られるが、おそらくそんなことは作品を整えるための言い訳で編み出したに過ぎないだろうけど、あまりにちゃんとやっている俺にはそれすらもきちっとした哲学を語っているように見えて「バカ映画」には見えなかった。幼稚園児がどんなに一生懸命走っても陸上選手の手抜き100m走には勝てるわけがない。そういう感じ?

まぁ、そのあと俺も十分バカ映画について造詣が深くなったんで、そうなってみるとあいつはバカ映画はまだまだだな、っと。


『西瓜と羊羹』2003年/DV/13分/監督・脚本・編集
西瓜

何があったのか知らんが、毒が薄まっていい話になっちゃって。
いやいや、それでもオチの部分にただいい話で終わらせない仕掛けもあるんだけど、そこは単純に感じて良いんじゃないか?
二花子の瞳に比べれば。

とはいっても、やはりモチーフに障害者を持って来るから、やはり多少の居心地の悪さがついてくるけど、主体がそれを乗り越える主人公の父親に移っている分、二花子~みたいにあからさまに責められる感が無いので、誤解でも多少はいい気分になれる。
二花子~が 石の下に隠してしまっている人間の原罪をわざわざ穿り返してやいのやいのと責め立てるような悪意があるのに対し、こちらはさらに進んで原罪をも許してくれるような思いやりがある。

実際、都会の中で暮らしていると聾唖のように、障害箇所が外からは分からないと、初対面の度に失礼な対応をしてしまうことが多く、そのため余計な誤解を生みやすいので生きるということだけで普通の人より余計な苦労が多い。
劇中、最初の父親の気持ちこそがまっとうなのだ。ラストで父親は娘とその彼氏を許すのだが見る側はほっとして心地よくなるのは本当だけど、きっとあの父親は翌朝にはやはり心配になってイライラするかもしれない。ただ、一匹の天道虫を通して、まったくわけの分からない男ではなくひとつ共感するものを持つことが分かったのだからきっとそれも繰り返されるのだろう。
障害者を取り巻く現状を乗り越えるリアルな方法なんてそりゃ社会制度や人間の本能やらから片付けなければ本当の解決とはいかないのだろうけど、そんな極楽な世の中はいつ来るか分からない。それでも生まれて生きていかなければいけない障害者たちの間に今すぐ解決せよといえば、ひょっとしたらこういうことなのかもしれないなぁ。

でも、あいつがいい話作るというのは似合わないからもうやめて欲しい。


『梵天』2004年/DVCPRO/24分/監督・製作・脚本・編集
梵天・大

上手なタイトルだわ。
耳掻きの反対側の綿のふわふわした部分のことだそうだけど・・あの部分があんなイカシタ名前だったとは。

受けるパワーは二花子~に比べると小さいが好き嫌いで言えばこっちの方が好きな作品。
まぁ、攻撃性が無いということが大きな理由だろうけど・・・・そもそも作品に攻撃性があるなんて他では見ないけどね。
監督自身のお勧めはなんと言っても作品テーマである「エロ」な部分にあって、主人公のDV受けたOLが怪しげな雰囲気が満杯の耳掻き屋(そんなもんあるのか?)で、耳をほじられるシーンというのは暗い劇場のスクリーンで見るとつばを飲む音も気になって魅入るほど魅力がある。

だけど、俺が人生で一番重要視していることはエロではなくて「死」と「生」の方が高いので、作者の意図とは関係なくその部分にそれほど共感はない。むしろこの作品で好きなのは俺は主人公の朝の食事風景。
もちろん登場人物たちが交わしているのはエロネタなんだけど、共感し合ってないのに一緒に暮らしている主人公とその彼氏のギスギスした会話ややりとりが、サザエさんのようなほのぼのとした家庭シーンなんて幻想だ!と、ばっちりと切り捨ててくれて気持ち良いんだ。
だってさ、他人同士が何もかも上手くいくってありえないじゃん?誰も彼も大なり小なりささくれ立ってるとところが触れ合ったり、心のある部分に生傷がむき出しだったり、それを隠さなければいけなかったり、あるいはつつかれたり。
それが「人間として生きてる」ことになるわけじゃん。人間って円い球じゃなくて金平糖みたいにあちこち出っ張ってたり(その出っ張りも欠けてたり)してるわけだから、でも、手をつながなくちゃいけないし。
で、やっぱりどうにも凹凸が合わなかったり、他のところに合うところがあったりしてふらふらしたり。
そんな危うさがね、あの朝の食事シーンに在るってね。
だから主人公のOLが耳掻き屋に行くというファンタジーな展開もめちゃめちゃ説得力があるのよ。
そうなったら、俺にとってはそのあとのエロがあろうが無かろうが十二分に面白がっちゃって堪能しちゃってるんだよ。
そういう流れがおれがこの作品では何より好きで惹かれるところなんだよね。
作者には悪いが。

初見は監督から送ってもらったテープ。あれ、「絶対お前に俺の素晴らしさはわからんやろう?」という挑戦というよりテストだったんじゃないかと疑ってる。
あとから「エロがテーマ」だと力説される、さらに言えば「性器を介さないエロだ。」と・・・・・・・。
表現としては本当に面白いところに目をつけるよなぁ~。と思いながら同時に「それってお預けじゃん?」とも思う。

初見のときに旧掲示板で書いたときはまだ言葉ができてなかったんで「短編のお手本みたいな」作品という分けの分からない感想を書いたけど。
その意味はつまり上に書いたことなんだわな。

見た人にしか分からない感想になってすまん。

そのあとは、公開まじかに控えた「人間椅子」をテーマのトークショー。
佐藤圭作と同作の一部分出演者である水戸ひねき(英樹)と石川謙とのゆるゆるの世界。

け。
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テーマ : 自主制作    ジャンル : 映画

Comments

No title 
何も悪いコトしていないのに、どうしてぼくはさらし者にされてるの?
うっわ~~~~~~~! 
エライ奴に見つかってしもうたぁ~~~~!

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

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