自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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夏休みの読書感想文『坊っちゃん(夏目漱石)』

Category: 読書感想文  
先せいに、「なつやすみくらいむずかしい本をよみなさい。」といわれたので、何を読もうかまよいましたが、お母さんが「文がくといえば、ぼっちゃんでしょう?」と言ったので、千円さつの夏目そう石の「ぼっちゃん」を本屋でさがして買ってきました。あくた川りゅうの介の本もあって、どっちもページがうすくてよみやすそうだったんですが、なんたっておさつになってる人だったので夏目そう石にしました。

わんぱく子ぞうだった主じんこうの ぼっちゃんが先生になって松山に行く話でした。
ヤマアラシははじめはキライでしたが、ほんとうはとてもまじめなのであとで好きになりました。
赤シャツは全ぜん似てないですが、ともだちの風ま君が思いつきました。こいつが一番イヤなやつでした。赤シャツにくっついてオセジばっかり言ってる野だいこもともだちの加とう君を思い出しましたきっともっと年を取ったらすごく似合うと思います。ぼくはこのふたりをだー機関と名づけました。そこが一番笑えました。

主人こうのぼっちゃんがひどい目にあったり、マドンナさんがつらいめにあったり うらなり先生が宮崎にとばされたりこの本では、イイ人ばっかりひどいめにあって、わるいやつばかりいい目にあうイヤな内容でした。
いやなめにあっても言い返したりできなくて、そのためにますますわるいめにあうマドンナとうらなり先生にいらっときました。悪いのは赤シャツの方なのに。
でもさいごは赤シャツをぼっちゃんはやっつけたんですが、でもそのあと東京に逃げ帰りました。
すこしくらい仕返ししてもけっきょく逃げなきゃいけないというイヤなないようでした。

なんか先生や参考書や教科書だとみんなみんな楽しそうな本のように書いてあったので、テレビの「はねるのとびら」みたいな どたばたした生き生きとした楽しい本なのかなぁとおもって楽しみにしていたのに、めそめそした場面はぜんぜん無いのに、よみおわったあとは暗い気持ちになりました。
けっきょく夏目そう石先生は、武士の時だいが終わっても、悪いやつがとくをして、いい人が損をするという世の中のへのグチを書きたかったんだと思いました。
 
先生からの返事。
難しい本をよく読みました。しかもしっかり読んでいることに先生爆笑です。

じつは先生もこの年(??歳)になるまで「坊っちゃん」は読んだことがありませんでした。
昔は教科書にも一文が乗っていたほど有名だったのですが、今では名声ばかりが先行していて本当に読んだことのある人はずっと少ないようです。
そのクセに子供に本を読みなさいってんだから大笑いですよね。
しかし、ちゃんと読んでみて分かったんですが、
本当に読んだことのある人には「坊ちゃん」はあまり子供にはふさわしくない本であるということがすぐ分かります。時代が違いすぎて文字や言葉や文中に登場するありとあらゆる小道具・大道具・制度・システムなどもう違いすぎて今の子供にはほとんどいたるところでイチイチ詰まるのでとても鑑賞できるような余裕がありません。
実は先生は他の本で知ったのですが、夏目漱石や二葉亭四迷や福沢諭吉などは江戸時代の終わりから生きてる人にとって口語体の文章はそれまでまったく無かったがために、はたして話し言葉のまま物語を書いて読めるのか?という文学の中での革命を起こしている真っ最中だったんですね。もう坊っちゃんのころにはかなり行き渡っていたようですがそれでも「寺小屋で読む孟子や孔子」のように一旦訳してからでないと何言ってるか分からないのと比べるとずいぶん「普通の人に優しく楽しい」文化の開放に成功した例のようです。
でも、皆さんのように生まれたときから当たり前のように口語体での嘘八百(創作という意味)物語が読める時代に生まれてくるとその辺のありがた味なんか分かる訳が無いので、夏休みの読書感想文でそこまで読み込ませるのは無謀だと思います。
早い話が、当時の人たちのようにすんなり読みながら同時に「うっわ~!」と感動したり「クスっ!」と笑ったりするために事前に知っておかなければならない事柄が今はほとんど滅びてしまってるので急に「有名だから」と言うだけで読めるような生易しいものではないと言うことです。

そういう点を踏まえて分からないことだらけの一冊をよく最後まで読みました。それだけで表彰状です。

さて、先生の感想ですが、先生も同じく読み終わった後に暗い気持ちになりました。
「屁のツッパリ」で支えられるものは何も無いとまさにそういう物語だと思いました。
愛媛の道後温泉にある観光客向けの大きなカラクリ時計が有って、時間が来ると「坊っちゃん」のキャラクターがコキコキと動くのですが、マンガチックにデフォルメされているその人形たちが先生のこれまでの「坊ちゃん」のイメージだったので、先生も実際の本との落差にorzでした。少なくとも「ハッピーエンド」だとばっかり思っていましたから・・・・・。

でも、時代背景を考えるとまさにそういう時代だったようです。
江戸時代が終わって突然文明開化。四民平等をうたって開国し欧米諸国に追いつこうとして世界に向かってまい進していた時期の日本が背景にありますが、坊っちゃんの周りはもう時代の変化に引きずられている真っ最中で、えらく進んでる部分と遅れている部分が混在しています。当時できたばかりの汽車の走る町を少し離れると皆さんが見たことも無い野生の王国(超田舎の世界)。お国は世界に向けて出航しているのに船内の乗組員はまだ地方や町のナショナリズムがこびりつき、同時に昔の権力の残滓を残しながらそれとは別の新しい権力の勃興による特権意識にとらわれる人々を続々生み出していた時代です。当然、そのために虐げられる人がその何十倍も生まれている、まさにそんな時代です。どちらの共感を得ることが作家としてヒットに繋がるかと考えると、こうなるのではないかと思います。

当時の作品すべてを見たわけではないですが、今残されている当時の文学の世界では貧者・弱者・敗北者が主人公の物語が非常に目に付きます。
アメリカンドリームよろしく、成り上がった成功者を(居なかったわけでもないのに)表す文学はあまり生まれなかったようです。成功者はそれこそ巨大なお屋敷や、超珍しい洋服や懐中時計や自動車などを所有することで「成功」を伝えることが可能だったので、さらに文字で宣伝する必要が無かったのでしょう。

そういう意味で夏目漱石や福沢諭吉や二葉亭四迷の口語文体での文学の表現の恩恵を最も受けたのは、それまで多くの人に言葉を伝える技術・技法を持たなかった「貧者・弱者・敗北者」のではないかと思います。
俺たちはまじめにやっているのにこんなに理不尽だ!こんなに不幸だ!こんなにつらいんだぁ!
と声を上げることこそが口語体文学の一番大きな意味ではなかったのかなぁ と思いました。

今改めて道後温泉にあった坊ちゃん時計のことを思い出しますが、あんな能天気な雰囲気(雰囲気は確かに能天気だったけど)な内容にはぜんぜん思えなくて、まったく違う作品を間違って読んでしまったのではないかと思わずにいられません。


※坊っちゃん からくり時計の写真見つけたので追加アップしました。

karakuritokei





追記:http://donpachi77.blog74.fc2.com/blog-entry-392.html
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Comments

No title 
『坊ちゃん』じゃなくて『坊っちゃん』。

>俺たちはまじめにやっているのにこんなに理不尽だ!こんなに不幸だ!こんなにつらいんだぁ!
>と声を上げることこそが口語体文学の一番大きな意味ではなかったのかなぁ と思いました。

あんた柄谷か。

『日本近代文学の起源』という本では、柄谷行人というエラい人が、日本人は言文一致体を生み出したことによって「内面」(=近代人の苦悩やらなんやら)があることを発見した、と書いてるよ。
No title 
>『日本近代文学の起源』という
アマゾンでみてみたら・・・・・
めっちゃ偉そうな本やないかぁ~~~~~~!
何をきっかけにすりゃぁあんな本読む機会になるのだ?

前後の時代の文学を大量に読んで比較できるようになって初めて出てくる話だろうな。

研究者というのはそういう作業を厭わない人なんだろうね。
「俺は基本的に好きなことだけ。」なので材料が偏ってるか、圧倒的に不足しているんでそういう視点は絶対出てこない。たまたま「日本史好き」という背景があったから書けたけど、そうでなかったら前半の小学生編ぐらいの感想文しかかけなかっただろう。
と、おもうとなおさら今の中高校生に義務的(またはキャンペーン的)に「坊ちゃん」読ませても仕方ないだろう?となおさら思うね。

そのうち「吾輩は猫である」を読んでみよう。
No title 
>何をきっかけにすりゃぁあんな本読む機会になるのだ?

ほら、俺って知的なエリートだから。

『坊っちゃん』が
>貧者・弱者・敗北者が主人公
のほんとうは苦い話だ、ということは、関川 夏央, 谷口 ジロー のこのマンガで描かれてる。
漱石が主人公のむちゃくちゃ面白い超絶的な名作マンガなんでおすすめ。

http://www.amazon.co.jp/dp/4575712299
著作権フリーの読書感想文(笑) 
他の人はどんな感想文を書いたんだろうと思ってググって見たら、こんなものが・・・・・・・。

http://www.onda-honpo.com/dokkan/bocchan.html

これってっ出題した先生側が「坊っちゃん」読んでなければ絶対にバレない。

今の時代、教育がおかしくなっていく最大の原因は先生が学ばなければいけないということを忘れたか放棄しているからだろうな。
とか、思った。
No title 
『坊っちゃん』で感想文を書けなんてむちゃな話なんだな。

もうひとつ、漱石で感想文の定番といえば『こころ』だが、俺は漱石はほぼ全部読んでいるけれど、『こころ』だけはよくわからない。
『三四郎』も『それから』も『行人』もお話として面白い。
『彼岸過迄』はいつか映画にしてやろうと企んでいるくらいだ。
だが、『こころ』はもうあまりにも漠然としていてどんな筋かすら思い出せない。あれが感想文の定番ってのは、どういうことなんだろう。

No title 
ネット上で見られる坊っちゃんの感想だけど、
「古い割には読みやすい」とか「勢いがあってあっという間に読み終えた」とかいうのが良く見られるのは
たぶん、口語体で読ませるにはどうすればいいかという、まだ試行錯誤感があるときのころに夏目漱石が考えた「文章にリズムをつければ耳慣れない口語体でも読めるんじゃないか?」という工夫(実験)の名残から得られる読後感じゃないだろうかと想像してみる。本当かどうか分からんが。
それにしても ラストの坊っちゃんがさんざん非道をつくしたダー機関の二人をやっつけるくだりに「スカッとした」というのもちょくちょく見られるのに正直驚いた。どう考えても坊っちゃんの負けだからだ。ちゃんと読んでないのか?
と思ったけど、これって書いた人の価値観が出てるだけだよな。

自己保身のために不平不満を我慢することは格好よくない→収入やら社会的地位やらそんなもの放り出してでもやっつけてやることこそ漢(おとこ)ぞ!って奴。
俺的にはそうやってどんどん自分の立場を悪い方に追いやっていく自爆的な行為は頭の悪さ(二手先・三手先を読めない・・読んでるとイライラしてくる)からくる獣の思考でしかないと思うが、こういう人にとっては爽快感のある結末だとは思う。
夏目漱石はそういう読者層を想定して書いたのか?について柄谷行人先生は何か言ってないか?

>『こころ』はもうあまりにも漠然としていて
ふ~ん。読んでみるか。

ひそかに盛り上がる漱石話。 
映画以外の分析はするどいんだよな。

>夏目漱石はそういう読者層を想定して書いたのか?について柄谷行人先生は何か言ってないか?

柄谷先生は知らないが、石原千秋の『漱石と三人の読者』という本がある。
漱石が「顔の見える身内」「自分となんとなく同じ階層のインテリ」「未来の一般大衆」に向けて重層的な小説を書いていたという分析でむちゃくちゃ面白いんだが、それは置いておく。

その本で面白かった指摘は、実際には「坊っちゃん」の物語の主役は坊っちゃんではなく、彼の赴任以前から続いていた山嵐と死神酋……じゃなくて赤シャツの権力抗争に巻き込まれた端役にすぎない、と。
それがあたかも彼が主役の痛快談に見えるのは、全体状況が見えないまま一人称で語る坊っちゃんの知性の問題(と読み取れるように漱石が書いている)との説だった。

総帥が言いたいのは、こういうことかい?

さらにその本に書かれていたことだが、
「坊っちゃん」=元・旗本、「山嵐」=会津の士族、「うらなり」=松山の士族、という具合に、要は「佐幕派」が、「ダー機関他もろもろ」=近代明治に再び破れる話、という読みがあるそうだ。

これは小原さんが好きそうな話だよね。
思わぬ展開にw 
とうとう俺もインテリの仲間入りかぁ?

>映画以外の分析はするどいんだよな。
俺、映画 特に好きでもないしぃ。

>石原千秋の『漱石と三人の読者』という本がある。
アマゾンでレビューごと見た。
おまえそんなに漱石好きかい?

にしても医学や工学なんかの自然科学と比べると 文学を研究するってのは本当に世の中に何の貢献もせんなぁ!

>彼の赴任以前から続いていた山嵐と死神酋……じゃなくて
>赤シャツの権力抗争に巻き込まれた端役にすぎない、と。

ああ!それ分かるかも。
大政奉還やら開国やらなんてのはしょせん武士やら公家やらの間だけで決まっちゃって普通の農民にとってはまったく傍観者でしかなかったもんね。
自分では何もしていないのに大きな変革に巻き込まれて何もかも変えなきゃならないなんて経験はあの時代の人しか味わってないのとちがうか?太平洋戦争と敗戦は大なり小なりほとんどの人が能動的に参加して体験した変化だから、幕末の巻き込まれの比じゃないと思う。
偉い人同士でがちゃがちゃばっかりやってるけどおかげで傍観者でしかないのに(傍観者の役割しかできないのに)巻き込まれて偉い目にあう。という時代の具象化があの小説なのかも?という気がしてきた。

ネット感想・批評に死神酋……じゃなくて赤シャツは漱石か?という話も有ったけど↑のようだとしたらり幕末生まれの漱石自身はやはり坊っちゃんに反映されてるということではないでしょうか?

>総帥が言いたいのは、こういうことかい?
あ?ああ、うん・・おおむねそういうこと。

>「坊っちゃん」=元・旗本、「山嵐」=会津の士族、「うらなり」=松山の士族、という具合に、
>要は「佐幕派」が、「ダー機関他もろもろ」=近代明治に再び破れる話、という読みがあるそうだ。


おもしろい!けど大喜利的面白さかなぁ。
そこまで反映されてるようには思えんかった。
あ?でもあの作品ぐらいキャラクターがコミカライズされてることをおもうとキャラクター作りのときにある種の典型を実在のグループから借りて形作るというのはあるなぁ。そういうことかもしれん。
山嵐が攻撃的なのを「会津」というのは確かにありえそう・・・・・ああ、だんだんその気になってきた。
坊っちゃんカラクリ時計 
写真有ったので本文に追加した。

ある知らない人のブログで
「(漱石は)あんだけ田舎の松山の悪口言ってるのにあちこちの作品のモチーフを使っている松山の人の心のおおらかさに悩んでいる人が居た。

さもありなんwww
(って何歳の人間が使う言葉だ?)
No title 
松山だけじゃなくて、田舎者や東京人やインテリや無学な大衆やがさつな男や女やババアやジジイや若い男や若い女や外国人やその他もろもろの悪口ばっかり書いてるじゃん。
漱石に悪口言われなかった人なんかいないから、それでいいんだよ。

>おまえそんなに漱石好きかい?

好きっていうか、まあ読んどかないとまずいだろうなあ、と。

漱石って日本文学の王様じゃん。
とりあえず王様を攻略しておけば、あとはまぁなんとかなるんじゃないかと思うのよ。
No title 
>そこまで反映されてるようには思えんかった。

>山嵐が攻撃的なのを「会津」というのは確かにありえそう・・・・・ああ、だんだんその気になってきた。

あ、誤解されてるかもしれない。

深読みすれば坊っちゃんを「旗本」、山嵐を「会津」にたとえることができる、という意味じゃなくて、小説内で現実に山嵐は会津人、で坊っちゃんは元・旗本の家の出身と漱石によって書かれているんだ。
なんでこの項ばっかり膨れ上がる??? 
なんか、仲良いみたいでイヤだ。

>小説内で現実に山嵐は会津人、で坊っちゃんは元・旗本の家の出身と
確かに誤解してました。さっき本当にそういう設定だと書いてるのを見つけました・・・・。
ちゅうか「坊っちゃん」全文読めるサイトがあった。恐るべしネット!
あと全員名前あったのね。全然気が付かなかった。

ただ、やっぱり会津とか旗本ってあの時代の出来事によって他の作品でもある種の典型の役割を与えられることが多かったんじゃないかな?という考えも捨てがたい。
特に普通の人にある種のキャラクターを頭の中に浮かべやすいようにするには「会津みたいな人」「薩摩みたいな人」「長州のような人」って言えば割とみんなキャラをつかみやすかったんじゃないだろうか?
・・・・これは他の同時代の別の作家の作品と比較すればすぐ分かることか。

俺の「坊っちゃん」の捕らえ方って少なくとも技法上は少年ジャンプ並みにミーハーな作り方をしているような気がする。で、その滑らかな口調の中に「どうにもならない運命というか力の違いというかそういう抗えないものの存在」という毒を潜ませてる、というよりその毒ですらおいしく食べさせるための料理方法としてミーハーすぎるほど分かりやすい人物設定や口語体の採用なんかがあったんじゃないか?思ってきた。
いわゆるステレオタイプじゃないでしょうか? 
当時は会津や長州・薩摩・桑名・土佐なんていうのは
あるキャラクターをステレオタイプで作るときに非常に便利な括りの役割を文学界の中で負わされていませんか?

会津だから権力に不器用(単純暴力で)に逆らう人なんだろう。とか
薩摩だから朴訥で怒ると怖い かと思えば政治力目視して寝技も得意。
長州は議論(特に正義論)が好きで頭でっかち。なかなか行動しないけど動くと激烈とか?
もちろん作中で会津出身者と長州・薩摩出身とは必ず対立関係で描かれるとか。
No title 
なんかここ読んでたら書きたくなっちゃったので
うちの花形坊ちゃんの夏休み宿題の話ですが参戦。


「一年の国語」

・以下の作家の作品をひとつ読んで
読書レポ-トを提出

・「小説・物語」は可で「随筆・エッセイ」は不可

・教科書に載っている(いた)作品は除く。


~~~~~作家~~~~~
夏目漱石 森鴎外 芥川龍之介
宮沢賢治 幸田文 井上靖 別役実
重松清 あさのあつこ 灰谷健次郎 山中恒
井上ひさし ねじめ正一 伊集院静 星新一



なんかすごく幅が広すぎて選びにくい
と思ったのは私だけでしょうか?

ちなみに国語の先生のお勧めは
星新一だったそうです。
図書館に本は残ってませんでしたが
花形ぼっちゃんがどれを選んだのか
私は知りませ~ん。
誰かと思えば・・・・。 
>「一年の国語」
一年というのは中学一年のことですね?

>夏目漱石 森鴎外 芥川龍之介 宮沢賢治 幸田文
>井上靖 別役実 重松清 あさのあつこ 灰谷健次郎 山中恒  
>井上ひさし ねじめ正一 伊集院静 星新一

>なんかすごく幅が広すぎて選びにくい
>と思ったのは私だけでしょうか?

節操ないというかまとまりが無い感じがするなぁ。
俺はほとんど読んだことの無い人たちばかりなのでなんとも言えまへんが、やっぱり国語の先生というからには全部読んだんだよな?でないと、なぜその作家が良いのか?とか言えんし。
まぁ、今の世の中、好みや価値観は人それぞれバラバラですから選択肢を広めとかないと
読書そのものがつまらないということに結びつくことを避けたいんではないでしょうか?
ただ、そこまで考えるのなら推薦者はぜひ「ちょっと可愛いファンタジーが好きな人は宮沢賢治がお勧め♪。」「文字だらけの紙を見ると蕁麻疹が出る!こんな苦痛は少しでもない方が良いというくらい重度の文字アレルギーの人には星新一があなたを助けるでしょう!」みたいに、お勧めポイントをあらかじめ示して欲しいですよね。中身を知らずに読んで好みに合わず苦痛にのた打ち回る悲劇を避けられると思います。

>国語の先生のお勧めは
>星新一だったそうです。

ショートショートということでしょうねぇ。
それは「どうせお前ら文字だらけの本読んでもすぐ飽きて読まなくなるから、超短いのにしな!」という思いがあるのかもしれません。先生自身からしてそうなのかも知れんが。


>花形ぼっちゃんがどれを選んだのか
>私は知りませ~ん。

ぜひ「坊っちゃん」を読んで感想書いてくれ!
今の子供があんな古典読んでどんな感想を持つのか純粋な好奇心で知りたい!

どうしても書けなかったらこの項の子供バージョンをパクれば~?
こんな項だけ膨らむのは屈辱ですが 
>だが、『こころ』はもうあまりにも漠然としていてどんな筋かすら思い出せない

夏目漱石の「こころ」についてこんな説明を見つけました。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/%E3%81%93%E3%82%9D%E3%82%8D

『知り合いのおじさんから、親父が死にそうなこのクソ忙しいときに「友人の好きな子を奪ったらあてつけ自殺されたので俺も死ぬ」っていう100ページ強にわたる、とても封筒に入りきるとは思えないぐらい多い量の手紙をもらった。 』

そりゃぁ筋なんか分からん。

つうか、君みたいな上昇志向バリバリでブルドーザーみたいな肉体には絶対に宿らん精神状態の話だから、理解しようとしなくて良い。
ここだけ見る人が多い。良いんですけど。 
毎日コンスタントにここに「坊っちゃん感想」で検索して訪れる方がいらっしゃっるんですが今月になって同じような方が激増しています。
一日だけでなくコンスタントなのでけっこう不思議がってます。夏休みにはまだ早いし、ドラマ化されたとか映画化とかの話も特に聞きませんし、最近坊っちゃんについて何か学校方面で変化があったんでしょうか? (教科書に載ったとか?)


他のはさっぱりなのに・・・・・・・・とほほ。

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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ダカラァ
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