自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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中学生ぐらいから美術の教科書の中に映像を入れてもいいんじゃないか?

Category: 自主映画雑感  
中学生ぐらいの美術の教科書に「映像・映画』を入れてもいいんじゃないか?

    art  

とだいぶ前からずっと思っている。

音楽や絵画や文学などはとっくに教科書にあるのにいまだに映画だけは「げーじゅつ」的スタンスを当事者以外に与えられていないのは、社会がそういうスタンスに押し込めておこうという意図があるからではないか?つまりこれこそユダヤ資本やイルミナリティの陰謀ではないか?

ああ、そういう話ではなくて、
つまり我々の日常の中でこれほど映像が溢れているのに一向に系統だって映像のことについて学んだことが無いっていうのはおかしくないか?またおかしいとは思わないか?
モンタージュがどうのとかイマジナリーラインがどうのとかは『作り手側に立ったとき』に初めて聞かされる概念で、受けて側に居るとあんまり聞く機会が無いが、見る側も本来知っていておかしくないしこれってけっこうトリビアっぽい面白さがあって良い情報だと思う。

映画監督にギャランティや著作権を初め社会的に低い(笑)地位しか与えてないのは、映画監督を芸術家ではなく道路工事かマンション建設の現場監督レベルの地位に押し込めることで出費を抑えようとするユダヤ資本やイルミナリティの陰・・・・・

ああ、そういう話ではなくて、
要は映画は脚本に書かれていることを単にそのまま(喋っている人の顔を正面から撮るだけで済むもんじゃない)撮ることではなく、表現者はいろいろ工夫をしてそれ以上の感情なり雰囲気なり意図なりを加えているのに、受け取る側がそのことをイマイチ理解していない(な~んとなくでしかない)。その送り手と受け手の乖離が映画監督の地位をいまだに士農工商のさらに下に置いている原因のひとつではないか?もちろんそうなったことの裏にはユダヤ資本やイルミナリティの陰・・・・・

とすれば、映画監督に芸術的地位を与えるには作品を受容する消費者側がそのことを知る必要があるだろう。文学も音楽も絵画も彫刻も結局は情報伝達効果をさらに高めるためのデコレーションの違いに過ぎず、とうぜん同様の作用が映像にもある。

これ以上深めようとすると『本当は映画キライ』だということがばれるので、一足飛びに授業内容について想像を遊ばせて見る(遊びだよ、遊び)。
 
授業は年間10時間程度でよい。
映像の誕生~技法の発見・発達といった通史。
有名作家の略歴なんていうまぁ常識的なことはさておいて

で、俺がこのアイデアの中で一番気に入ってるのは
たとえば国語の教科書はどんな名作小説であっても全文が掲載されるわけではなく、たいていがある場面の抜粋を3~4ページぐらい抜いて、そのなかで種々の文法表現を問うたり教えたり作者の意図を読ませたり読み取ったりするというのがこの授業での基本的フォーマットだが、これってもろに映画にもモロに適用できるんではないかという思いつき。

たとえば
昔、まだ映画監督を夢見たころに読んだある本に書かれていたことの受け売りだけど、
黒澤明の『天国と地獄』の劇中シーン。

kurosawa  ←このシーンではない。

犯人から掛かってきた身代金交渉の電話とそれに続く被害者側のドラマ(すいません、うろ覚えで書いてるので間違ってる可能盛大です)。ここはけっこう長いシーンであるにもかかわらずカット割されずワンシーンで撮られている。ドリーやPANや人の出入りでもってあたかもカット割がされているように見せているのだ という部分。
ここだけを見せて、

【問い1】 このシーンは何カットで撮られていますか?(あ、あざといw)
     <さらに、なぜそのカット数にしたのでしょうか?>
【問い2】 主人公の権藤は間違われて誘拐された運転手の子供のために身代金を払わなければいけなくなりますが、このシーンでは払う払わないと揺れ動きます。どのカットのときに払おうと考え、どのカットのときに払いたくないと思ったか答えなさい。
【問い3】 他人のために払いたくない(権藤の持ってる金は本来株主会議対策用の金でこれを払っちゃうと会社での権藤の立場が無くなる)という気持ちを抑えなければならなくなったのはなぜですか?下の選択肢から答えなさい。
 A:人道的な見地から。
 B:払わないと周りから非道・悪魔・鬼と非難されるから。
 C:ヒーローになってみんなにちやほやされたかったから。(成功したらヒーロー。失敗しても他人の子)
 D:どっちに転んでもろくなことにならないと気づいたから。
【問い4】 
 作者(黒澤明)はこのシーンで主人公権藤の性格をどう表現しようとしていますか?
【問い5】
 以下に同じシーンのシナリオを写しましたが、これを読んでグループでシーンを再現しなさい。

 
最後の問い5は文法は自分で使ってみた方がより深く実態的に理解で居るから、カメラと監督と役者に分かれて同じシーンを自分たちで再現してみようという意図。観賞用ではないので教室内で自分たちでそのまま演じればいい。音声や証明なんか無くても今のビデオは写るしね。PCに撮りこんでその場でさっさと編集しちゃえば面白いと思うぞ。
各出題は全部勝手なものなのでそれほど深い意味は無いが、初めに言った『国語のフォーマットがそのまま使える』という思い付きを分かってください!
この調子で小津やらヒッチコックやら構図やカット割りに独特の手法を持ってる人たちなんかは教科書的に使いやすいと思うがどうだろう?

ozu     uramado


映像端末はワンセグが登場したように急速にパーソナルツールになってるんだから、DVD教科書なんて映像メディアの教科化には最適だと思う。むしろ今まで映像が教科書に無かったのは教科書のパーソナル化がこれまで不可能だったかでしかなくて、今がちょうど映像の教科書化にむけて運動を始めていいころなのかもしれない。

まぁ俺は本来映画ギライなので映画の鑑賞方法に関する本なんてものを読んだことが無いので(有るのか無いのかすら知らん!)内容についてはもっと詳しい人がいろいろ想像して遊んでくれればいいと思う。
他にもホラーやらアクションやらアニメやら先人たちの発見や工夫なんか普通の人でも知ってればより映画が楽しくなるような事柄って一杯ある。もしこんな授業があれば俺は受けたい!子どものころこんな授業があれば俺はきっと映画が好きになっていたと思う。

というより、いかに知らずに多くの人が映画を見てるのか?そのことが日本での映画監督のステイタスを貶めている原因のひとつ(あくまででひとつ)であり、それこそユダヤ資本やイルミナリティの陰・・・・・

 つまり今の日本での映画というジャンルは作れる人(作家)だけが観客を置いてけぼりに勝手にずんずん進んで(発達して)いった不健全でいびつな世界だと、俺は思っている。
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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
自主映画デサエアレバ傑作モ駄作モ大好ゥキデ~ス。

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