自主映画まみれ!

自主映画(特に個人映画)という特殊で奇妙でへんてこりんでとてつもなく面白い世界の紹介や批評や悪口や日々のくだらないどうでもいいことを脈絡無くつづったブログ。ただいまブログだと怖いけど会ってみたら割といい人じゃん♪キャンペーン実施中(落とし所不明)

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読書感想文 こ々ろ 夏目漱石 

Category: 読書感想文  
まえに夏目そう石の『ぼっちゃん』を読んだら、おかあさんが「ぼっちゃんは、子供の読むものよ。大人の仲間入りがしたければ『こころ』をお読みなさい。お~ほっほっほ♪」といったので読むことにしました。

で、2週間かかってやっと全部読み終わりました。
むかしの本で大人が読むものだということだったんですが、たいへん読みやすく、ちっともむかしの本という感じはしませんでした。でもなんで2週間もかかったかというというと、最初からさいごまでなにも事件がおきないので、ずっとたいくつだったからです。
えっと、大人ってこんなに何も無いものを読むんですか?と、思いました。

で、書いてあることは大人になっても何も行動しないぐじぐじぐじぐじとしている先生といわれているおっさんのことばかりでした。しかもさいごの手紙のぶぶんにくるまで先生が何になやんでいるのか、どころjかなやんでいるのかどうかすらも書いてないので、何をしたいのか何を考えているのかぜ~~~~んぜん分からなくて僕が死にそうでした。
大人ってばかだなぁと思いました。さいごの先生からの手紙にあった昔の友人Kのことなんか、相手の考えてることをしょうこも無く勝手に想像をふくらませて悩んでいるのが読んでてあほらしくなりました。さいごは先生は自殺しますけど、なんでこんな真っ暗な話をみんなが読むのか分からなかったです。読んでて全然楽しく無かったです。
さいごまでだれが主人公なのかまだ分かりません。なんとなく先生なのかな?と思いますけど、イナカのお父さんの病気のことが書いてあったので「私」なのかな?と思いましたが、さいごの「先生」からの手紙でやっぱり「先生」が主人公かな?とおもいましたけど分かりませんでした。でもやっぱり「先生」かな?と思います。ちがうかな?
で、脇役の「私」はおとうさんが意しきを無くしたときに家を飛び出しましたが、けっきょく死んだのかどうか書いてませんでした。先生からの手紙にも自殺の予告が書いてありましたがけっきょくのところ本当に死んだかどうかは書いてませんでした。やっと登場人物が動いたと思ったらぜんぶ動きの途中で話が終わりました。
僕びっくりです。
あまりに急な終わり方だったのでおかあさんに「つづきはないの?」と聞いたら、「え?」と言っていました。「途中で終わってるよ。」と言ったら「じゃ2巻買ってくればいいじゃないの」といったので本屋に行ったら、お店の人に「そんなものは無い」と教えてくれたました。たぶんおかあさんは読んだことが無いのだと思いました。
「おかあさんもまだおこちゃまだったのね、お~ほっほっほ♪」と言ってやろうと思いました。
ひとつだけおもしろかったことは、おじょうさんと結こんしようとした先生がその結婚したいという話を一番さい初に本人じゃなくてお母さんにするところがびっくりしたことです。本人がイヤだったらどうするんだろう?と思いました。
 
前回の『坊っちゃん』に続いて文豪:夏目漱石の名作に挑んだのですか。
かなりチャレンジャーですね。
書いてくれた感想は悪口ばかりですが、少なくとも最後までちゃんと読んだことははっきりと分かります。その時点で合格点です。感想文の内容の良し悪しは今回は問いません。というよりあなたが考えたことがなんの飾りも格好付けも無く正直に書いてあることにびっくりです。漱石を読むより面白かったです。なので100点でもいいと思います。でも他の先生には通用しないので、次回からはもっと分かりやすい本を読むか、褒め称える感想を書くかした方が良いと思います。

さて、君への返事をベースに先生も読んで見ましたので感想を書いて見たいと思います。
先生も君が書いたとおり、何ごとも事件らしい事件が無く、ただぐじぐじともったいぶった書き方で二人の登場人物の心情ばかりが延々と続くことに、「こ、こ、これが純文学というものかぁ~~~~!」と愕然としました。
登場人物に行動らしい行動が無いのです。かろうじて通学風景や娯楽(旅行)・帰省そして墓参りなどがありますが、それは目的とか目標としてではなく日常の点景としての役割であって、それを除けば中身の9割(当社比)が心情風景の羅列だったといってもいいかもしれません。
この年になるまで、純文学なんてものは見事に読んだことが無かったのですが、これには驚きました。
先生が普段読む本のように手に汗握る刀のつばぜり合いや、犯人と刑事の息詰まる対決も無く、また人類存亡の危機を作り上げる彗星の接近も怪獣の登場もありません。陳腐な言葉で言うところの「ストーリーが無い」のです。今ここで「こころ」を読んだことの無い人にそれがどんな話なのかストーリーを聞かせろ言われたら先生お手上げです。もう「イヤ、読んだこと無い。」と言ってやりたくなるほどです。純文学ってこういうのばっかりなんでしょうか?どうりで先生今まで読んだことが無いはずです。「かの有名な夏目漱石」「近代文学の最高峰」「教科書にも出てる(試験にも出る)」の3点セットが無ければ今もこれからも読んでいなかったと思います。それぐらい驚きの表現でした。

でも、感情的には「かなり面白かった」です。
何が面白かったかというと、文字や言葉で感情や心の中という形に無いものを具象化しようとしている行為の出来上がりとして見事だったからです。

たとえば透明人間が居たとします。
でも我々にはその透明人間は見えません。
身長も体重も年齢も性別も職業も国籍も人種も分かりません。
どうにかしてその透明人間の正体を知りたいとき、一番簡単なのはその透明人間に薄い生地の布をかぶせることです。
するとその布は実際の人間の体に沿って居場所や背格好や性別やファッションも浮き立たせます。
あるいは寝転がってる透明人間に砂をかけてみても良いでしょう。そこに透明人間が居たら薄くかけられた砂はその人物の姿かたちを浮き立たせることでしょう。先生はこの本を読んで文学とはそういう誰の目に見えないものを文字という砂をかけてその形を浮き立たせることのように思えました。一つ一つは小さい砂粒でもたくさんの言葉を駆使することで見えなかったものの形が見えてくる、そのための行為が文学の醍醐味であり意味なのではないかと思いました。
先生がこの「こころ」を読んで感じたのは、そういった本来見ることも聞くことも触ることもできない「こころ」の姿・形を文字と言う砂をかけて間接的にその姿を描き出すことに挑み、そして綺麗に描ききったもののように感じました。

散々悪口を言ったこの物語の登場人物の動きの無さは、さっきの透明人間で例えれば、その人が動けばこちらで何もしなくても何かにぶつかる音や足跡でその透明人間の姿がある程度推測できるのですが、漱石はこの透明人間を動かさず、純粋に文字と言う砂だけでその透明人間が何者で、どれほど複雑なポージングで立っているか(あるいは座っているか)を我々に見せようとしたものであるんじゃないかと思いました。物語では人物の心象という目に見えないものを描くときには、普通は行動に置き換えます。悲しく=泣く とか 怒り=握りこぶし、あるいは失恋したけど甲子園を目指して練習を重ねる!みたいな。それをこの小説では文字だけで描いて見せたといえるでしょう。
登場人物の行動で人の心情を表す方式のデメリットとして「人間は思ったことすべてを行動するわけではない。」ということと「迷いや逡巡という行動を起こす前までの過程も、またこころの形そのもの」であるととらえると表現に息詰まるということです。この作品はまさに「先生」が過去の傷の重みのために動けなくなったからこそ使えた技法のように思えます。なので第三部の「先生」の長い手紙はネタばらしであり、そこからもう一度第一部を読むとよいかもしれません。はじめこそ「訳の分からないぐじぐじ」が正に文字という砂で浮き立たされた心という透明なものがどんな形をしてどんな動きをしたのか実に克明に描かれていたということが分かります。というか味わえます。
なるほど歴史に残る名作だということが非常によく理解できました。
で、驚いたのがそうやって描き出された(削りだされたというおうか?)明治末期から大正に掛けての日本人の心情が21世紀の人間が読んでも違和感が無かったことです。もちろん当時の社会情勢により異なる部分もありますが、苦悩するという行為自体の共通性に100年の進化を感じないほどの同一感を得てしまいました。むしろ100年経っても人は変わっていないということに驚きました。

でも、つくづく思うのはいかにその技巧が優れているとはいえ、この作品を高校生やましてや中学生に読ませるという目的が分かりません。本編で描かれる「こころ」は数あるなかでも「友を自分のエゴで死に追いやってしまった後悔」とその原因となっている妻にだけは「そのことを明かせなく」、また「親の財産を信じていた親戚に横領され」、すっかり「他人を信じなくなり」った男が「仕事をしないがために外部からの刺激や変化が無くなり」、「出口の無い苦悩に陥った」ため、もう「腐敗していくしかエントロピーが働かない状況」という、中高校生に最も適さない舞台と心情です。そんなものにとらわれてしまうような子供は子供じゃありません。
人生は常に数々の選択肢を選んでいく過程の積み重ねですが、言葉を変えれば常に勝負しているといっていいでしょう。
そうするなかで殆どの人は大小に関わらず何度も負けを積み重ねていくわけです。負けの数が人生の豊かさと他人への思いやりみたいなものに繋がるのかもしれません。そういういみで本作品を子供に読ませる意義とは登場人物である「先生」のような「大敗北(王手飛車取りで)」を擬似的に体験することはダメージ無く経験地を得るような気になるかもしれませんが・・・・・・。
どうなんでしょう?擬似的な追体験こそがあの作品の醍醐味であるかのような気がします。
「ああ、あのときの自分の気持ちのカタチはこういうことだったんだ!」という感じです。
そう思うと中高校生にとってあの本は「途中でだんだんかったるくなって読まなくなる」ことこそ正しい姿!だと思います。したがって、先生は文部科学省に中高校生の課題図書としてこの作品を入れることに反対ですね。あんなもの子供のうちから読むもんじゃありません!

でも、最終的には「さすがに音に聞く名作であったけどキライな物語。」であって、まぁもう一度読むことは無いだろうし人にも勧めないなぁ。というのが私にとってこの本の感情です。
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テーマ : 読書感想文    ジャンル : 小説・文学

Comments

疑問 
それにしても楽しめたのは確かだけど第二部の「父と私」はなんであるのか分かりませんね。
父の死を前にして主人公である「私」が感じている心情に「先生」が持つほどの苦悩はありません。
もちろん双方を単純に比較することは無理です。それなりに生きてきた上での父の病死に対し、「先生」は自分が「K」を死に追いやったと言う負い目があるからですが、その軽重の違いがあるからこそ、「私」は末期の父を捨てて「先生」の元に走っていけたのでしょう。
物語の構成上中途半端な感じと言うのはどうしても感じてしまいますが、割とみっちりと父の死を描き出しながらぽんと放り出した不自然

さを納得させるためにはそう解釈する方が先生には自然でした。
追記 
あと、かろうじて明治天皇の崩御と乃木将軍の殉職が描かれていますが、先生にはこの文庫本の巻末にある解説に書いているほど登場人物個人と社会とのつながりは感じられませんでした。物語があまりにも個人的事情過ぎるのです。私小説という言い方をいわゆる社会との関わりの希薄さを責めるときに使うことが多いですが、題材として登場していながらあまり関係ない話の進行を思うと、このジャンルもすでに100年前に完成モデルが登場していたのかと驚きました。でも案外これが社会の流れから浮遊して生きている日本人の特徴としてたどり着く当然の帰結なのかと思いました。(だって選挙にだって先生あまり行きませんからw)
社会の流れの中での個人の動きや心情を描く手法が日本で成り立っているのは「歴史小説」だけかもしれません。
そういう意味では司馬遼太郎の「竜馬が行く」は読む側としてはエンターテイメント性からみてもお勧めだと思います。
文庫本で全7巻というのはめちゃくちゃ長いけど・・・・・。
No title 
ほらな。
わけわからん小説だったろ?
他のはだいたい面白いんだが、よりによってこれがいちばん売れてるってのがよくわからんです。

ところで、次は太宰どう?
「人間失格」読んでー。
さとけいへ 
>よりによってこれがいちばん売れてるってのがよくわからんです。
他は坊っちゃんしか知らないので「一番売れてる」のがおかしいのかどうか分かりませんが、良い大人が読む文にはけっこう面白いと思うぞ。お勧めはせんが。
ただ、構成上かなり奇妙なことは内容から得た感動が薄れたときに気になることも確か。
絵画に物凄く理想的な美女が書かれていて感動したけど、ちょっと興奮が収まってから見ると「このキャンバスなんで三角やねん?」みたいな・・・・・・。

解説に書いてあった「初めは『こころ』をテーマにしたオムニバスにするつもりだったのが、膨らみすぎて1本にした」とあるが、むしろ物語の構造が奇妙なのは、第二部は本来別の人の話にするつもりだったんじゃねぇの?という気がします。

なので器が少々変でも中の品物がよければ売れるということじゃないですか?
他のを読んでないので・・・なんともかんとも。
売れている理由ってなんでしょうね?「坊っちゃん」や「吾輩は猫である」の方が売れていないか?

>ところで、次は太宰どう?
>「人間失格」読んでー。
ああ、なるほど。
そういう手もあったか。
古今東西数々のパロディを生み出してる原型を読まないというのも変だな。

まぁでも先に他のものに手を出してるからその後ということで。

何を読んでるかは秘密。

No title 
自分の感想を書いたあと、他の人はどう読むのかはいつも楽しみであちこちさがすんだが、そんな中で↓のような爆笑サイトがあった。

休みの読書感想文をコピペする子供たちにネットの怖さを教えたいと思います。一見すると普通の読書感想文だが、よく読むと原作にないエピソードが混ざっているニセの読書感想文を書いてください。優秀作を集めてニセ読書感想文サイトをつくります。
・課題図書(好きなものをひとつ選んでください)
「こころ」(夏目漱石)
「人間失格」(太宰治)
「沈黙」(遠藤周作)


で、例文がまた面白い!

やっぱり、さとけいの要望のとおり、次の次は太宰にしよう。

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どんぱちの小原です♪

Author:どんぱちの小原です♪
映像草野球トイウ冠ヲツケテ~どんぱちプロダクショント名乗ッテマース。ソシテぇ自分デ映画作ッタリィ、自分デ上映シタリィ、出演シタリィ、他ノ上映会二行ッタリ感想書イタリ悪口言ッタリ アリトアラユル方向カラ自主映画ヲ見テイマ~ス。
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